2022-12-30 (金)

 

今日は鎌倉にやってきました。

2022年は鎌倉に何度か遊びに来ましたが、締めっくくりでも、やはり鎌倉に来なければと。

JR鎌倉駅の出口には、「鎌倉八幡宮は東口。鎌倉の大仏は西口。」と書いてありました。

今日は東口です。

 

小町通はよく歩きますが、若宮大路はあまり歩いたことがないので、今日はこちらを歩きます。

▼ 二の鳥居です。

車道より高くなっていて桜がある道を段葛(だんかずら)というそうです。

鎌倉時代からあったそうで、海よりの三の鳥居から続いていたそうです。

横須賀線開通に伴い削られたんだとか。

 

▼一の鳥居

その向こうに鎌倉八幡宮が見えます。

 

鎌倉八幡宮から段葛を見た風景です。

 

この階段の写真を撮りたいと思ってました。

さすがに人が多いですね。

この階段の左側に公暁が隠れていたと言われる大銀杏がありました。2010年に強風によって倒れました。

あの辺りで実朝が公暁に暗殺されたのか。

近くで写真を撮ってみたかったのですが、人が多すぎて、恥ずかしくて、今日は撮れませんでした。

 

次に向かったのは宝戒寺(ほうかいじ)様です。

 

 新田義貞の鎌倉攻めにより、この寺の南東にある「腹切りやぐら」で、最後の執権・北条高時をはじめ北条一族八百七十余名が自害したと伝えられています。

 滅亡した北条氏の霊を弔うため、また修行道場として、後醍醐天皇が足利尊氏に命じ、北条氏の屋敷があったとされるこの地に寺を建立させました。

 境内には四季を通じて花が咲き、九月には白いハギで埋めつくされる「萩の寺」として有名です。

 

鎌倉時代が始まった鎌倉八幡宮から、鎌倉時代の終焉を弔った宝戒寺へ歩いてたったの5分で移動します。

 

そのような歴史を思いながら、境内を散策させていただきました。

 

 

椿もきれいに咲いています。

薄ピンクの椿もありました。

北条氏は、北条時政、義時、泰時から14代北条高時、17代北条貞将(ただゆき)まで百三十年ほど続きます。

この頃は皆、短命で30台で亡くなることも多いみたいです。

この鎌倉から京都はとても遠い地にあります。

何が起こっているのか、どうやって知りえたのでしょう。

 

つづく