突然の訃報
今日、昼頃に学校から帰っていると、バスの中から大勢の記者を見つけた。
何か事件でもあったのかな?と思っていた。
家に帰って、真相を知る。仰木前オリックス監督が亡くなられたのだ。

元プロ野球・西鉄ライオンズ(現西武ライオンズ)の二塁手として黄金時代を築き、近鉄、オリックスの監督として3度のパ・リーグ優勝を果たした現オリックス・シニアアドバイザーの仰木彬(おおぎ・あきら)さんが15日死去した。70歳だった。
 福岡県中間市出身。東筑高卒業後、1954年に投手として西鉄に入団。すぐに野手に転向し、名二塁手として名をはせた。中西太氏、稲尾和久氏、豊田泰光氏らとともに56年から3年連続日本一に貢献した。60年にはパ・リーグのベストナインを受賞。67年に現役を引退するまで、通算成績は1328試合に出場し、800安打、70本塁打。2割2分9厘の打率を残した。
 現役引退後は、西鉄で2年間、コーチを務めた後、三原脩・近鉄監督(当時)の要請を受けて70年に近鉄入り。5人の監督の下で18年間、コーチを務め、87年オフに監督に就任。「トルネード投法」の野茂英雄投手(元ドジャース)を育てた。89年にリーグ初優勝を飾ったが、巨人との日本シリーズでは3連勝後の4連敗。92年に勇退した。
 94年にオリックス監督に就任すると、振り子打法の鈴木一朗外野手(マリナーズ)を見いだし、登録名を「イチロー」として開花させた。阪神・淡路大震災があった95年のシーズンには、「がんばろうKOBE」をユニホームの袖に掲げて、オリックスとしてパ・リーグ初制覇。翌年には、長嶋・巨人を破って日本一に輝き、01年に勇退。04年には野球殿堂入りを果たした。
 昨年オフ、近鉄と合併した新生オリックスの監督を引き受け、今季は4位。体調面を理由に今オフ、監督を退き、シニアアドバイザーに就任した。

なるほど、記者がたくさんいたのは仰木監督の自宅の近くだった。
オリックスのファンであったことも、近鉄のファンであったことも無いが、仰木さんには特別の思いがあった。
阪神大震災の年の優勝、あれは、幼心に感動を覚えた。今でもしっかりと覚えている。

監督を退任してすぐの訃報。昨シーズンは相当に無理をしていたんだろう。
最期までカッコいい方だった。男として憧れる。
今年はこの方も逝ってしまわれたし・・。
北九州にゆかりのある偉人が、また一人いなくなってしまった。

ご冥福をお祈りいたします