何故、両親を殺害してしまうのか?
私からの個人的な感覚でのつぶやきになります
● 親子の関係
他人と親子との大きな違いは ”愛” でしょう
愛の大きさは大き過ぎて、私としては表現が出来ないです。
私はまだ独身であり、自分の子を持ってはいませんので、
完全断定は出来ませんが、息子からの両親と接する経験はあるので、
間違えではないはずなのです。
そして、私の経歴で過去に高校で理科の教諭を勤めていました。
勤めていた学校も、世間一般では進学校と言われている高校でも勤めましたし、
陰では......と言われている高校でも勤めました。
多くの生徒と接して、そして懇談ではその生徒の親と接するわけですが、
とにかく彼らから感じる事が共通して親子という "愛” でした。
私も生徒を愛してはきましたが、その愛とは全く違います。
● 両親殺害事件を観察していると
金の欲しさに、サイコパスで殺害されたことはさておいて、
殺害方法がエグい事が多く、そして意外にも真面目な息子や娘であることです。
そして、更に忍耐力があったり、おとなしかったり、日々他人へ優しかった者が両親を殺害していることが多いように感じます。
● ”愛”は非常に大切
私は人を裏切ることは決してしませんし、プライドがあります。
私は " 身内 "という言葉を無意識によく口にしてしまいますし、私が本当にお付き合いさせて頂いている方々へも、良し悪しですが、身内と呼んでしまいます。
相手さんはもしかしたら、”こいつ馴れ馴れしい奴だな”と思っているかもしれませんが、私は他人へ接する際にホントにそうですし、身内を守ることに裏切れない性格です。
私が駆け引きをしたり、嘘を使う必要があるときは、身内ではないと感じる相手に対してそれをします。何故ならば、身内を外敵から守る為に避けられない事が現実では多々あるからです。そして身内を信じています。
信頼の崩れは愛が崩壊する
● 信頼の崩れが親子で起こった場合
”愛は憎悪に変わる”
愛は憎悪を生む引き金なのでしょう。
この世で生きている中で愛が憎しみを生んでしまったときに、その憎しみはさらに蓄積し、暴力をコントロールしようとする自分との戦いが起こり、そして憎しみの蓄積が臨界に達しているにもかかわらず、しかし気を緩められない中で、まじめ、おとなしい、忍耐力のあるものほど、暴力的に凄まじい破壊力を持ちます。
これが、殺人を起こした場合、殺人方法は残酷が増してしまう。
その残酷さは本人自身はそれでも物足りないのでしょう。
更にここから遺体を損壊へと続く場、証拠隠滅の為ではなくて、切り刻み、そのパーツまでも焼いたり、すり潰したり、溶かしたり、DNA鑑定しなければ判別できないくらいにまでに、これでもかとやってしまいます。
憎しみの度合いが窺えます。
私がチャリティー団体を結成したい思いは何故?
● 現代に起こっている事件は昔であれば、新聞で三面記事だったはず
現代の家族は昔と違って、便利な手段がプロセスを短縮させて、ストーリーがなくなってしまうことから、身内を庇う必要もないし、助け合わなければならない場面に直面することが減ってしまい、相手を理解しなければならない必要もなくなり、そして、更には自分さえよければそれでよしとなります。
● 人という生き物は独りでは生きていけない
身近なところから ”身内” "家族” 庇うことが崩壊するということは、それは私たちが生活していく場の安全が崩壊していくことを意味しているのではないかと思います。
時間を空き戻して、起こってしまった事件を止める事は出来ませんが、今起こっている事件さえも他人事のように感じているような気がする??
学ぼうとする意識を持って、未来へ進まなければならないと感じます。
実は私が助けを求めていた時に両親から裏切られて、
そして、他人という身内がそれに代わって私を助けてくれた経験があったから、
とてもわかるからです。
”両親の愛よりも他人からの愛が大きい!”
私はこのことに、とても大きなダメージを受けました。
正直、両親を殺害したいと思うまでも思ったくらいです。
👆
しかし、これは私にとってとても大きなヒントであり、
そうか! じゃーあそうすればいいんだ!
と気が付くことができました。
そうなんです、私のこの経験を生かせば良いのだということなのです。
詐欺の被害者、貧困で苦しむ人、闘病で戦いが必要な人
きっと、解決できる!!