いま、やっちゃ場は | 大山格のブログ

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おもに歴史について綴っていきます。
実証を重んじます。妄想で歴史を論じようとする人はサヨウナラ。

 北千住は日光街道の第一の宿場で……うーん、あとは思いつきません。でも、地味ながらも特徴豊かな土地柄だったのですね。


 千住宿の問屋場跡にある、陶板画の略地図です。いまの北千住は隅田川と荒川に挟まれていますけれど、むかしの千住宿は隅田川の向こうの南千住も含めた地域ですし、荒川は昭和になってから完成した人工河川ですから江戸時代にはなかったのでした。


 荷物の重さを量る貫目改所は重要な施設で、千住の次は100キロ先の宇都宮までありませんから千住宿が果たした役割は大きかったとわかります。


 千住宿の特徴は重要な施設があったということより、やっちゃ場(青果市場)が宿場のなかにあったことが第一でしょう。南千住と北千住を繋ぐ千住大橋の北側で、南北に長い宿場町の真ん中くらいに、やっちゃ場がありました。


 やっちゃ場には「投師」と呼ばれた仲買人がいたそうです。


 投師は店舗を持ちません。車を牽いて千住で野菜を仕入れ、江戸の市中へ運び込んで売りさばくのです。鮮度が重要な商品ですから当日のうちに売り切ってしまうので在庫も持ちません。なにが何処で高く売れるかという情報が勝負ですね。


 元は投師をしていた家の跡です。


 それらの投師たちに青果を売る店が並んで、やっちゃ場を形成していたのですが、もとから千住に住んでいた人よりも、よそから移り住んだ人が多く、それぞれの出身地にちなんだ屋号をつけることが多かったそうです。


 谷塚屋さんなんてのは、東武線で草加の手前に谷塚という駅がありまして、おそらく、そのあたりから移り住んだ人なのかと見当がつきます。


 むかしの千住あたりは農村でもありまして、良質なネギの産地として知られていたそうでして、いまもネギマ汁なんかが名物なんだそうです。


 この塀のうしろは現代のやっちゃ場である、東京都中央卸売市場足立市場です。投師の流れをくむ仲買人の系譜も会社組織として続いているそうですよ。


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