バンザイ発祥の地は泣きの涙で | 大山格のブログ

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おもに歴史について綴っていきます。
実証を重んじます。妄想で歴史を論じようとする人はサヨウナラ。

 きょうはバンザイ発祥の地を訪れましたが、ハプニングがあってバンザイどころじゃない、泣きたくなってしまいました。
 万歳は長寿を祈る意味合いですから、めでたい席なら何処でも通用します。ただし、本来はバンゼイと読むのです。バンザイというようになったのは、明治憲法が発布された記念式典がきっかけでした。はじめてバンザイ三唱されたのは二重橋近辺のことであります。


 いわずとしれた二重橋前です。といっても、手前に見える二連アーチの石橋じゃなくて、その奥にある黒い鉄の橋が二重橋です。


 いったん石橋をわたり、少し進んでから二重橋を渡って宮殿に向かう道筋になっています。


 奥にちょこっと橋の欄干が見えてますが、おわかりですか?


 一般参賀の日しか橋を渡れませんが、その手前まではずんずん行けちゃいます。


 この黒い鉄の橋が二重橋です。この橋を挟んで、皇居の内側には学習院の生徒たちが、外側には東京帝国大学の学生たちが、さらに文部省直轄の学校の学生、生徒らが皇居前広場に並び、観閲にお出ましの天皇さまを奉迎したのでした。


 このとき「バンザイ」と叫ぶように発案したのは、東京帝国大学教授の外山正一でした。学識のある人なので、それが本来は千秋万歳でセンジュウバンゼイと読むことは重々承知です。ところが舞楽には万歳楽という曲があって、それはマンザイラクと読みます。漢和辞典を引くと書いてある漢音と呉音の違いです。これをまぜこぜにしてバンザイというようにしました。というのは語感の問題でした。発案者の外山は演説の巧い人で、強く祝意を表すには語感も強くあるべきだといって、漢音と呉音のいいとこどりをしたのでした。


 泣きの涙というのは、コレです。軽量三脚に小型軽量のカメラを載せていたので、風で倒れちゃったんです。レンズが曲がってオシャカになりました。是非もない、レンズなしでボディだけ持っていたって仕方ないですからレンズを買いました。さんまんえん……


 ボディの方も不調で、新しいレンズをつけて撮ってみたら、画期的な色になり……


 コントラストもゲージュツ的になっちゃいました。いったん設定すべてリセットして、復活してくれましたけど、一時はどうなるかと。


 逆光に弱く、ハレーションを起こすのはいつも通りです。これで異状なし。


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