天皇の仁慈の深きを拝察する好例に下田歌子の談話がある。歌子が女官として宮中に奉仕してゐたのは、明治十年前後、未だ天皇の御壮年のときであつた。この頃のことであらう。宮中には諸方からいろ〳〵の献上物がある。中には往々生きた魚鳥の類がある。かやうな場合、これを御覧あそばされると、小鳥なれば、庭に放て、魚類なれば池に飼つておけと仰せられて、決して調理せよとは仰せにならない。
そこで、御附の人達が、せつかく人民から御召上りを冀つて献上したものを、これを放つのはいかがでございませう、召上られてはと奏上すると、天皇はさうかと仰せになる。だが、その後に同榛な献上物があると、天皇は放てとは仰せにならないで、たゞ預かつて置けと仰せらるゝ、しかし預かつたものは大切にせねばならぬ、これを調理することは出来ないから、やはり庭や池に放つより外はないのである。それで、その後かやうな献上物があると、目録だけを御覧に入れて、実物は御目にかけないで、調理して差上げることにした。すると天皇は黙つて召し上がられるのである。
侍講副島種臣が、この話を聞いて、非常に感激し、聖徳禽獣に及ぶとはこのことである。孟子に、君子は庖厨を遠ざくとあるのはこのことだといつて歓んだ。私はこれは天皇の慈悲・仁愛の御心の現はれの一端であると拝するのである。
渡辺幾治郎『明治天皇の聖徳 総論』昭和一七年 p78-79
生き物にお優しくあらせられた昭和天皇さまの祖父に当たらせられるわけで、やはり「聖徳禽獣に及ぶ」を地で行く方であったのです。そのような御性格を、山岡鉄舟はわかっていました。

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