さらまんだの競馬と珈琲と音楽と -6ページ目

さらまんだの競馬と珈琲と音楽と

珈琲を含み音楽を聴く。そして競馬を予想する。当たったら何を買おうかな。物欲も旺盛でちっとも枯れない爺のあれこれ。

ねこちゃん飼ったことある?

 

 無いけど ある!!

 

 格好つける訳ではないが、私は猫と生活はした事はあるが、飼った事は無い。

 

 当時、高1の娘が周到に企んだ計画に乗らされ、母猫と子供二匹と暮すようになった。子猫のオスはすぐに車に轢かれて死んでしまった。前日、私が写真を撮ったのだが、娘と息子が「父さんが写真を撮ったから死んだ」とえらく非難された。

 メスの子猫は一年後に妊娠した。母猫は余り家には入らず、外から子猫の面倒を見ていたが、子猫が無事出産すると、ぴたっと来なくなった。六匹生まれたが、次々と腸をやられて死んでいった。一匹だけ食欲旺盛なのがいて、他の猫が弱っていくのに、どんどん身体がおおきくなり、結局、その一匹だけが生き延びた。

 この「デブ君」、結局、娘が大学を卒業し就職、結婚、結婚後十年たって子供を産んだ、その孫娘が3,4歳になるまで長生きしたのである。

 デブ君の母親はこの7年ほど前に18歳で死んでいる。弱って来た時、毎日のように医者に通った。あまりにも苦しむので「楽にしてやって下さい」と先生にお願いしたら

「私は動物とはいえ、自分の手で命をどうのするのはできません」

といわれた。最後は苦しんで亡くなった。

 

 デブ君は間もなく23歳になろうかという3月に一気に衰えたが、母親の事もあり、点滴などあまりせずに、ただ見守っていた。そのせいかどうかデブ君は静かに眠るように旅立っていった。

 明くる日、動物霊園でもあるお寺で読経、荼毘。申込書を書き進め、年齢欄に22歳と記入していたら、係の男性が奇声を発した。

「えっ、凄い、年齢換算表をはみ出している!」と。

 確かに、換算表には「20歳」までしかなかった。

 

 これだけ長く一緒に生活していると、本当に家族のようなもの。孫が生まれてから、週に一度、娘の家に行っていたのだが、夜、8時ごろ帰宅すると、二階の出窓にデブ君の白い姿が暗闇に浮かんで見えたものだ。一日留守にする私たちを待っていたのだろう。

 デブ君が亡くなっても、娘の家から帰ると、つい、癖で二階の出窓を見上げてしまう。暗闇の中にデブ君の姿は無いが、何か白いものがいるように思えてしまう事が時々あった。

 

 あれからもう12年目の3月がすぐやってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

夏目漱石の作品読んだことある?

 

 あります!!

 

 最初に読んだのは定番の「坊ちゃん」。

 次が「虞美人草」。若かったせいか、よく理解できなかった。女主人公の藤尾のような女性を「嫌いつつ惹かれる」という気分を味わった。

 「吾輩は猫である」は面白かった。老齢になって「こころ」を読み、漱石の凄さが分かったような気がした。

 俳人としての漱石、正岡子規との交わりなど感ずることの多い作家です。

 

 最後に、私に「本を読め」と導いてくれた親戚のケンちゃんの話。

 「俺さぁ、昔、漱石の「三四郎」を読んだんだ。いくら読んで行っても柔道が出てこないんだ」と。

「姿三四郎」を知らない方にはわからない話ですね。

 

 

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

にわとり飼ったことある?

 

 ある!!

 小3か4の頃ヒヨコを飼うのが流行った。歩いて小一時間ほどにヒヨコを一匹一円で売っている店があり、そこで五匹買ってきた。

 父に教えられてダンボール箱に穴を開けて、電球を中にセットして暖を取れるようにした。

 友達のヒヨコはドンドン死んでいったが、私のヒヨコはどういう訳か無事に育って行った。

 もう若鶏に近くなり父が小屋を作ってくれた。すると、困った事に。朝早くから鳴くのである。私も起こされるが近所のおばさんからも嫌味を言われる始末。

 ある日、学校から帰って小屋を覗くと「鶏がいない」。

 母に「鶏がいない、どうした?」と訊くと、「駄菓子屋のKさんが欲しいと言ったので売った」という。

 駄菓子屋のKさんは私の「いきつけ」の菓子屋さんだが、近くの市場で肉屋さんもやっている。

 半べそをかきながらいると、父が帰って来た。

「おい、五百円で売れたぞ」という。一匹の値段か五匹での値段か知らないが、聞く気も失せてしまった。

 

 それからかもしれない、「私が鶏肉をきらいになった」のは。

 

 

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう