一昨日、
三女がふとしたきっかけで
わんわん泣いて
朝ごはんのおかずを作ってくれるな、
食べることが辛い、痩せたい、
と言ったのですが、、、
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その翌朝、
私は、彼女のご所望通り
朝ごはんは何も作らず、仕事に出ました。
(いつもは、モヤシとニラの炒め物をして
家を出ます。←毎日おんなじかーい(笑))
そして、憂鬱な気持ちで
一日ぼーっと仕事をしていました。
4年前、
三女がガリガリに痩せ
その後、登校を渋り始めた頃に
私が日々感じていた あの心の重さを、
再び思い出しました。
不思議なことに
憂鬱な気持ちは、体まで支配します。
(だるく重くなります💦)
その憂鬱な気持ちのまま
18時半ごろ帰宅。
娘がバイトから帰るのは
21時なので
すぐに夕飯の支度にとりかからずに
心を紛らすために
テレビでアマゾンプライムを開き、
無料視聴のオススメで出てきた
『怪物』を、
ぼーっと見始めました。
(前から見たかった!)
みるみる惹きこまれ
途中からは、
夕飯の支度をしながら見ました。
「怪物」って
すごく考えさせる映画なんです。
是枝裕和監督の作品って
見た後に、凄く考えさせられます。
「万引き家族」、「そして父になる」等。
見終わった後、
これまでに無い
不思議な気持ちになりました。
ネタバレにならないように
ギリギリで
私の想いを書きますが、、、
親は親
子は子
他人は他人
の、それぞれの気持ちがあって
起こった出来事は
親が思いもよらないような理由からであったり
たとえ親子でも、
互いの本心が分からないこともあるよね?
とか。
愛情のあまり、
子どもに何かあると思うと、
親の憶測で
怒りや不安感情が先走りし
子どもが自分で選択する自由を
実は、制限してるんじゃないか?
とか。
子どもは親が考えもしない
なにがしかのプレッシャーに
耐えている(こともある)。
「こうあるべきだ」という
親の価値観の中で
子どもは多少なりとも悩むものなのだ、
ということ。
見終えたあたりで
バイトから娘が帰ってきて、
もうその時は、
映画のおかげで
私の気持ちは落ち着いており、
「おかえり!」
って、いつものように言えました。
「母さん『怪物』見てたの?
わたしもユーチューブの切り抜きで
前に観たよ!」
「なんか、『怪物』凄く、良かった。
色々と考えさせられちゃった。」
「うん、良かったよね。
知ってる?あれさ、、、
続きの推測、みたいな話があるんだよ!」
「ええー?どんな続き??」
みたいな会話をしました。
そして、話す中で、、、
「母さん、映画観ながら
昨日の〇ーちゃん、思い出した。
〇ーちゃんも自分で色々考えていて
母さんが予測できな様々な感情がある。
言ってみただけなのに、ってことも、
あるんじゃないかな?って・・・」
「うん。そうねえ。。。
今朝も、しっかり お腹すいて
お腹すいたら具合悪くなってきて
ご飯2杯、普通に
昨日の残りのカレーで食べちゃった。
やっぱ、朝ごはん、要るわ(笑)」
と、昨日のことについても、
落ち着いて、話をしました。
アメブロなどで
摂食障害の親御さんをセラピーする方の話に
『まず親自身が自分のことを大事にして
自分の為に時間を遣う』
というものがあります。
それは、
わたしが『怪物』を観るうちに
三女のことで気落ちした心が
癒されたような・・・
そんなことを
指して言ってるんじゃないかな?
と思いました。
子どものことに凄く囚われていたのに
何か別のものに目を向けることで
それまで見えなかったものが見えてきて、
心が晴れる。
そして子供からすれば
親が別の何かに目を向けることで
その管理や重圧、
なにがしかのプレッシャーから解き放たれ、
本当の心の自由を 手に入れることが出来る。
(それこそが 摂食障害や不登校の子を快方に導く)
子どもを信じるということは
子どもの心を手放すということ・・・
映画『怪物』が
語っていたことは
それじゃなかろうか??と。。。
深いぞ。是枝監督。。。
そしてもう一つ
ネットの記事から見たくなった映画
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私の実家のことのように感じます。
観たらきっと、胸が痛い。
でも、どこかの映画館で
観ることができたらイイな~💛
と、思っています(*^-^*)
今日もこんなブログにお越しいただき
本当にありがとうございました(*´▽`*)
またお越しくださいね~