前回お伝えしたように
長女は現役時代のセンターが700点くらいだったのですが、
まあ、本人は
(いっつも模試で700点行くかいかんかだし、妥当かな?)
とお気楽に思っていたようです。
しかしそりゃあ、ねえ・・・・
この年のセンターは、易化してて、
例年より20~30点平均点が高かったので
700点とっていても、難関大学は危ないと言われていました。
第一段階選抜で落とされるでしょうよ、足切りよ~~
みたいなことになって。
毎日毎日
担任の先生と、話しちゃあ泣いて、話しちゃ泣いて
帰ってきては
受けたい!という学部が毎回違っておりました。
最初・・・・工学部工業化学?
次は・・・・農学部?
最後・・・・〇〇〇〇〇(内緒っす)
ということで落ち着きました。
毎日、えんえん泣いて報告してくるし、決まってよかった、の一言。
まず、工業化学は、倍率的に、担任のおすすめだったのですが
「わたし、工場とか行きたくない・・・(( ノД`)シクシク…」
と言うしさ
農学部は(これも担任のおすすめ・・・たぶん苦肉の策)
「わたし、草木に興味ないんよおおおおお~( ノД`)シクシク…」
(あんた、選んどる場合じゃないでしょう・・・・地方国立も危ないのに)
と思いつつ、我慢です
〇〇〇〇学部は、これも担任がなんとか絞り出して考えてくれたのでしょう。
「まあ、女の子多いし、途中で転部するよお((´∀`))ケラケラ」
と、目の前が開けた感じで笑ってました。
ま、本人がよいなら仕方ない。
ひとまず京大を受けるっ!てゆーことで
気持ちはなんとか消化したみたいです。
センター直後の三者面談
なんかね、、、
いい担任だったんだけど、若くてエネルギッシュでね、いっつも考えてくれて
でもその日ばかりは、
冷たい断末魔にしか見えなかったですね。。。
「お母さん、あのう、まあ、前期は京大ということでえ、まあ、
ご本人の希望ですし、とりあえず受ける、、、ということでえ、
受けるのは仕方ないと思いますが、、、
えっと、後期は、、、この辺りでも難しいかもですねええ。。。。」
みたいな。 まあ、3年間、考えたこともない大学を勧められまして、、、、
長女の目には涙たまってるし。。。
長いながあーいイタタマレナイ沈黙。。。。
・・・・ながい・・・
「よっしゃあ!あんた、おばあちゃんち行っといで!!
楽しいよ九州~(^^)//
一年半会えてないし、おばあちゃん大喜びよ!!」
とまあ、私が口火を切りまして、、、、
考えたことも無かった九州圏内の大学への後期受験が決まりました(^^♪
実家に傷心旅行しようぜ!!みたいな空気で、
三者面談は終わったのでした
(今は、ちょっぴり苦い思い出と笑えますが)
その頃は、顔で笑っていても胸の奥がずーんと痛いような、
そんな日が続きました。
あ、でも、
京大受験が嬉しすぎて、そんな湿った感情は
すぐに吹き飛びましたよ
京都の観光雑誌集めて、私もウキウキしてきちゃって、
まあ、なんと、楽観的な親子だったのでしょう
決めたら楽しむしかないっ!
とか、二人で笑ってました(^^♪