ま、いろいろムチャもやりましたが、
ドシロートから合唱をはじめて、
尊敬できる先生(このお方、関西合唱連盟のドン)や、
頼れる先輩がた
(あ、右端のお方は先生ではなく、まぎれもなく大学生…)、
そして、かわいい後輩たち、
なにより、アホな同回生に囲まれて、
おかげさまでステキな大学生活を送ることができました。
写真の日付を見て自分で自分のことを
かわいそうに思いましたが、
クリスマスイブもサークルのメンバーと
居酒屋で飲んでるじゃないですか。
ちなみに、(とれかけたパーマ頭の)僕は
この2ヶ月ほど前に美容院に行って、
鈴木蘭々に
してください!
という、とんでもない誤発注を犯しています。
マル技(技術委員会)練習も楽しかったですね。
最後まで馴染めませんでしたが…。
宴会の司会もよくやってました。
D志社カラーのハッピがまぶしいです。
思えば、このときの経験が
ウィル に入ってからの宴会芸の企画に活きている、
ような気がしなくもないです。
それにしても粗い…粗すぎる企画ですなぁ…。
一応、ちゃんと合唱も真面目に取り組んでいました。
1800席を有するあの名ホール、
京都コンサートホールでも歌いましたし。
このときは、和太鼓・笛・語り・謡曲とコラボする
という難曲に挑戦。
はじめてステージ上で涙がこぼれました。
1年半かけて取り組んだジョイントコンサートを
やり遂げたということに。
1回生時の関西合唱コンクールでは、
サークル30年の歴史で初の金賞を受賞。
翌年、2年連続金賞。
そして4回生時には、“1位金賞”を獲得し、
全国大会にも出場しました。
まさか、あずきバーでぜんざいをつくったり、
居酒屋でビールかけをしたり、
ハーモニーをクラッシュしていたはずのぼくらが…
まさかのまさかです。
D志社コール・Fリューゲル史上、コンクールで
はじめての金賞と、
はじめての全国大会を
経験したのは、ぼくらの代だけですから、言ってみれば、
黄金世代ですね(笑)。
…いや、嘘じゃないですって。
ホントに野球ばっかりやってたんじゃないんです。
ちゃんと新聞にも載ったんですから。
(1999年10月25日付 朝日新聞)
,
(1999年11月21日付 朝日新聞)
ほらね?
全国大会では銅賞を受賞しました。
確か、大学Bグループ10組中8番目だったと思います。
ま、審査結果発表をすっぽかして
広島焼きを食べに行ってたんですけども…。
「こんなのが関西代表で誠に申し訳ございません」と、
今ならソッコーで菓子折り持参して
関西合唱連盟に謝罪に行きます。
96年度生の皆さん、
今はもう少しマトモな人生を歩んでいるでしょうか?
一緒に幹部をやってくれた2人のことは、
特に気がかりです。
そういえば、この頃ぐらいでしたか、
ザッキーことミヤザキくん(写真左)が
あまりの貧乏から電話代を滞納し、
そのまま音信不通になってしまったのは。
貧血寸前の病弱ぶりに「シーガイヤ(死骸や)宮崎」
と呼ばれていましたね(さすがにヒドイな…)。
また、みんなで会えるといいなぁ。
そんな、ちょっぴりセンチメンタルな気分にもなった
ヒロシ家での一夜、なのでした。
翌日は足立区から調布市へ、東京横断の旅です。
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