「万引き家族」と時を同じくして上映されている「焼き肉ドラゴン」は、くくりだけでいえば同様に家族の物語でした。
語りの末っ子は私と同世代、万博の時に中学で、私自身がこの時代を肌で知っています。
高度成長期とはいえ、日本中が貧しかったあの時代は、貧しさが自慢にこそなれ、貧しさで差別されることはありませんでした。
クラスの中でもきっと大変な家族もあったはずですが、ぼんやりしていた私は、どの子が貧しくて、どの子がお金持ちであるかさえ考えたこともありません。
在日家庭や同和の子も混じっていたのかもしれませんが、それさえも知らず、「ちょん・・・えっ?なに、それ?」と疑問に思ったのでさえ高校も終わることでしたので、差別やいじめ、貧困で悩んだり悩む仲間を知りませんでした。
まったくぼんくらな青春時代です。
ですから、同時代を生きていたとはいえ、映画で描かれるような貧民窟や在日差別を実感したことはなかったのです。ましてや、映画で描かれるような怒りと愛情をむき出しにするような家族ではありませんでしたから、映画の家族は、孫正義さんや姜尚中さん の体験記、開高健「三文オペラ」映画 「血と骨」「パッチギ!」で触れてきた「向こうのお話」なのです。
でも、映画に現れるティーテイルは懐かしさにあふれつつも、当時は、日本人でも「綺麗」な娘なんてクラスに一人か二人、ましてやスタイルのいい子なんて学校に一人か二人くらいで、韓国人の美しい女性なんて(差別でなく)韓流ドラマが話題になるまでほとんどしりませんでした。 と考えると、三人娘が全員美しいなんて当時であれば宇宙の果てのお話のような気がしてしまいます。それくらい、今の日本も韓国も人が美しくなり、はるかに豊かになったのです。
私自身は演劇に全く疎いものですから、監督 脚本の鄭 義信(チョン・ウィシン/てい よしのぶ)という同世代の優れた才能をほとんど知りませんでした。これほどのホンを作り出し、演出する才能はこれから目が離せません。
俳優陣もお互いが触発されているようで素晴らしかった。なかでもキム・サンホのオッパー(お父さん) イ・ジョンウンのオモニ(お母さん)はもう別次元の凄みを備えていて、韓国映画界の力をひしひし感じました。
映画で描かれる個がぶつかり合いながらも愛情に溢れた家族はこの時代だから存在したのでしょうか?
高度成長を果たし、豊かになるにつれ、核家族化が進んだともいわれます。
国会議員の中には失われそうになる家族を取り戻せと、憲法に家族を書き込むとのたまう御仁も存在します。
時代を生きてきた私にとって、失われつつある地域共同体、ひいては家族の絆ははっきりと重荷でそれらの束縛から放たれたいと思ってきました。個の自由がもっと保証され、同調圧力を過去の遺物として毛嫌いしました。だからといって、家族が離ればなれになり、絆が失われたとは全く思っていません。家族は家族として、表現の仕方はちがっても「焼き肉ドラゴン」同様に根底には愛情を持って家族が存在していると思っています。
ですから、御上に、ましてや最高法規である憲法に家族を押しつけられて規定されることには大きな反発を感じています。
「焼き肉ドラゴン」を観て、自らの家族の歴史を振り返り、やっぱり「個の自由」を獲得した過程は間違いではなかったと強く思うのでした。(ちょと話がそれてしまいました)