親は子どもの面倒をみるのが義務だ。動物だってやっている。
その信念が手放せなかった。
子どもを育てるのも、愛情をかけるのも当然で、幼い私の気持ちに気づかなかった母が悪い、とどうしても思ってしまった。
それだといつまでも母を許せなくて辛い。。。
単に私が、基準を変えればいいのかな?
育児放棄する人はたくさんいる。
そちらに焦点を合わせれば、育児は当然じゃない。
オプションで私を育ててくれたとすれば、そのやり方は母の自由だ。
私は文句を言えない。
なんだかせいせいした。
母はやりたくて、わざわざ私の面倒をみてくれたんだ!
私が生まれてきたせいで、義務だからと育児を母に押しつけた訳ではなかった!
すべてが義務ではなく、任意で好みである、と考えるとラクだ。
政治家なら国民のことを第一に考えるべきだ。
社員なら給料分働くべきだ。
教師なら理想を高く持つべきだ。
医者は金のために働くべきではない。
そう信じていると、自分を縛ってしまうし、人を責めてしまって辛い。
だから自分のために、こういう義務をすべて空の彼方に放り投げてしまう。
じゃあ、私はどうしたいのか考える。
自由とは、この感覚のことなんだ。
常識から一歩離れて、自分で決めることなんだ。
お金持ちになって好きな場所に好きな時に行くことではない。
たとえそうなっても、お金持ちの女性とは、こういう振る舞いをしてこういう生活で、これを食べるなどと、あれこれ頭の中で考えているとき、とても不自由だ。