次女10歳になりました
早かったわ。
本当にあっと言う間に過ぎ去った10年だった。
思い起こせば二人目を妊娠する事に恐怖があった私。
理由は…長女の時の出産劇よ…
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本当に、もう二度と、経験したくないと思ったわ。
でも、やっぱり兄弟がいた方が…と思った時には
二人目不妊になっていたわ。
まぁ、不妊治療をしたわけではないから
不妊だったかどうかは、はっきり分からないけど…
そんな次女の出産劇…書いていくわよ。
臨月に入ってすぐの検診の日、これにサインして
と、書類を渡された。
それは、無痛分娩の同意書だったの。
私は、無痛分娩が怖かったわ。
だって、知り合いで麻酔の量を間違えられて死にかけた!とか…
下半身の痺れが取れない!だとか…
なんだかんだ周りから良いこと聞かないからよ。
そんなの必要ありません!と言っても、
サインしないと分娩できない!と言われてしまい
渋々サインしたのを覚えてる。
そこで、侍(夫)と相談した。
編出した解決方法が
サイレント出産
だった
え?なにその出産方法?とお想いでしょう。
説明します。
きっと、派手に痛がると無痛分娩コースとなるはず。
と、いう事は、痛がらなければ自然分娩コースなんじゃない?と、いう事。
なので、出来るだけ静かに産む!事にした…
さぁ、日本から実母も到着
全ては整った!
10年前の3月6日、日付が変わろうとした時だった。
なんとなく陣痛のような痛みを感じる。
あ…これは、予定日丁度に産まれる!と、直感した。
そこから時は過ぎ、午後三時。
陣痛の間隔が5分になり、そろそろ病院へ行かないと!と、移動。
分娩室へ通され、子宮口を計ってくれたと思ったら
いきなり破水させられた…
え?嘘でしょう?!
陣痛の痛みって、徐々に強くなっていくから耐えられるってもんだと思うの。
でも、いきなり破水させられて
陣痛MAX
に、一気にレベルを上げられた私…
いーたーいー…
もうお尻を分娩台に付けられないくらい痛い…
私は、叫んでた…
『薬(ヤク)は…薬(ヤク)は
まだか!』
頭からは、すっかりポーカーフェイス出産の文字は消え、拒否っていた麻酔を欲していた…
あんなに話し合ったのに…
横でテンパる侍に、さっさと薬(ヤク)を用意しろ!と、もう音声だけ聞いたら完全に
薬中患者だったわ
ギャーギャー騒ぐ薬中分娩中のアジア人が気になったのだろう。
見に来てくれた助産師さんに、
『早く!早く無痛分娩に!!
薬(ヤク)を!薬(ヤク)をくれ!』
と、絶叫する私…
なにが、ポーカーフェイス出産だよ
だがここで、地獄のドン底へ突き落とされる…
『今日はね…だめなの。
無しで!頑張って!』
なん…だと…?
麻酔の在庫が少ないから、分娩に使ってらんないという事らしかった…
えー!!!痛いのに〜
こうなったら、力んで力んで兎に角早く出すしかない!
頑張ったわ!私…
16時55分、2800gと長女よりかなり小さく無事、
産まれてきてくれました
まぁ、お股が裂けて麻酔無しで8針縫ったけどね
産後も順調に過ごし、4日で退院
大きな病気や怪我もなく、10年経ちました。
人生の中で、子育ての時間がこんなに短い時だど
改めて感じた私。
残された時間、大切に過ごしていこうと思います。