15年前の今日、長女が誕生しました。

ちょっとグロい私の出産劇、書き出してみてもいいかしら?
男性の方、お気を付けあそばせ。


初めての出産を海外でする事になるとは…そりゃあ思ってもいなかった…

思えば長女は、お腹の中にいる時からマイペースだったわ。
胎動なんてほんの少しで、生きてるか心配になるほど動かない子だった。
予定日よりも一ヶ月も早く出てきたのに、
体重なんと!
3450g
のBIGなBabyだった。
下から出す代物じゃないわよね。
そのおかげで24時間、陣痛に苦しんで階段を痛いのに登り降りさせられたわ。

無事に産まれてきてくれたニヤニヤと思ったら、助産師が新米で切る所を間違えたもんだから膣が裂けて7針も縫う羽目に…

もう立つ気力もなくて、ストレッチャーで病室まで運ばれた。
その後、私が爆睡してしまったのと看護師が私の存在を忘れたのがいけなかった…

起きたらお腹のあたりが気持ち悪い…
布団をめくるとそこは…血の海だった滝汗

でも疲れてたのね…あ、シーツ取替えてもらおう!なんて呑気な考えしか浮かばなくて看護師さんにお願いしたの。
そしたらさ、『シニョーラ!トイレ行った?』って慌てて若い男の子の看護師さんが聞いてきたの。
あらやだ!イケメンニヤニヤなんて思えるほどに心の余裕があったのを鮮明に覚えてる。

次の瞬間、その看護師が私の腕を引っ張り上げてトイレに立たそうとしたとき…

意識を失った…チーン

痛みで目が覚めると…そこには看護師が5人に医師が3人。
両足高く持ち上げ、めいいっぱい広げられ、縫ったばかりのお股から何かを勢いよく引っ張り出していたわ…
痛くて痛くてまた、気を失った…

その後、気が付くとカテーテルが入れられていて
両腕には数本の点滴が…

着ていたはずの、母が日本から持ってきてくれた
ネグリジェーは裂かれて捨てられてしまっていたえーん
その代わりにお尻丸出しの割烹着みたいなのを着せられていて、横にはあの男の子が。

何が起きたのか、何時間経ったのか、同室だった女性はいなくなっていた…

そこで知らされたのは、残っていた胎盤が思いの他大きかった事…
トイレに行くことで胎盤が自然に流れるはずが連れて行くことを忘れた為、流れることが無かった事…
残された胎盤がお腹の中で腐り始めていた事…

重なりに重なって、死にかけてました。

その後、2日で退院できる所を10日もお世話になることに。
その間、1日に3回、3〜4メートルのガーゼを縫ったばかりの腟(←痛さをなんとか伝えたい!)から入れ、荒れた子宮の中をグリグリと拭き取られる。
そして勢いよく引っ張り出していく…
悲鳴にもならない声をあげ、痛みで脂汗をかきながら耐えた日々。

点滴をしていたため、母乳を与えられず
小さな長女に会えるのは一日一度、僅か3分。
他のママが母乳を与える時間に、チラッと見せてくれるだけ…

長女を見せてくれた看護師が部屋を出ると、他の看護師が『この子はもう母乳飲み終わったの?』と聞いていて、長女を抱っこした看護師が『この子のお母さんは死にかけてるから授乳どころじゃないのよ!』と言っていて、

あ、私、死にかけてるんだ…

と、自覚したわ。

痛みに耐えた出産で、退院した後も痛みに耐える日々が3ヶ月以上続いて、気がつけば産後鬱な状態に…

母に八つ当たりして、たくさん傷つけたわ。

今日で彼女は15歳。
私は彼女と15年。
あと何年、私と一緒にいてくれるかしら?
痛みに耐えた分、幸せを沢山くれた長女。
彼女が健康で人生幸せでありますように。