今朝は3時にミケピィに起こされて

どうした??と思ったら

『喉が渇いた…』ということだったので牛乳を飲ませたりしてたらすっかり目が冴えてしまいまして

そのまま起きてたんですけど

ちょっと喉が痛くて風邪薬を飲んだら急に眠気に襲われて

8時過ぎから1時間程眠って夢を見てました



薄暗い外のご飯置き場に

猫が来てまして

誰だろ?と思ったらそれは三毛猫でした

僕はその子にミケという名前をつけて呼んでたようで…

そうなると??ミケピィは?ミケピィと同じ名前をこの子にもつけたんだろうか??

まだ6歳くらいにしかなっていない三毛猫の背中を見ながら…ミケピィはどこへ行ったんだろ?

そんなことを考えてるうちに目が覚めました


普通にこんな夢

もしかミケピィが今うちに居なかったらきっと悲しい気持ちになっていたことと思います



そばにいてくれて

本当に感謝です


さっきも僕が起きると今度はお腹空いたと言うので

いつものようにウェットのフードに竹輪を刻んだものを乗せてあげたらそこそこの量を食べてくれました


あ!そうそう!

この東海地方で売られてる竹輪は全てみよし市の兼定製かと思ってましたら

ゲンキーのは石川県のスギヨというメーカーのものでした

自分でも食べてみたんですけど やっぱりかなり味が違うものなんですね

猫が食べるには味が濃いのでちょっと塩っぱい…です

また後でいつものかね貞の竹輪と牛乳を買いに行こう



今日から月が変わって10月です

本当は昨夜深夜にお千代保稲荷さんに行こうかと迷ってたんですけど雨降ってたし

明日午前中に役所の用を済ませてちょっと御礼の参拝に行かないと…



ご飯を食べてスヤスヤと寝てるミケピィを見ると

家にいてくれることの有り難みが身に染みるようです



話変わって

先日奈良県で采女祭りというのがあったそうでして

沢山の夜店が並んでる映像を拝見してました

采女(UNEME)というのは変わった名称ですけどこの四日市にも采女町というところがあるんです


采女とは大昔の日本の朝廷で天皇に支える女性たちのことをいうそうで

采女町はその名の通り

この地から天皇に支える女性がいたことからその名がついたと言われています

現在の国道1号線が通っててその脇には今も旧の東海道が残っています

杖衝坂という急勾配の坂道はかつて東征の帰途で日本武尊(ヤマトタケルのミコト)がその険しさに

『吾が足は三重の勾の如くしていと疲れたり』と言葉を残されたところから三重県となったとも言われております

今の時代あまりピンとこない言葉ですけど日本武尊は大阪の方ですから喋くりにオチが必要だからたぶん

『めっちゃ疲れたでぇー わての足が三重に折れてんのんか思たわ!』と言ったのかもしれませんね


それくらい古くから存在していたであろう旧街道ですから

大昔にこうした天皇が通るとその地で美人を見つけると問答無用で連れていったのかもしれませんね

采女町はどうやら天皇への服従の印として娘を差し出したようです

きっと辛い別れだったでしょうにね

そんな采女には銘菓『采女の里』というのがあります



茅葺き屋根の形をした最中で

中には餅が入ってるんです

一個でもかなりのボリューミーだから子供の頃は苦手でした

このままお椀の中に入れて熱湯を注いでぜんざいにしても美味しいかもしれませんね




ミケピィ

お待ちどおさま

ほらっ!いつもの竹輪買ってきたよ