私の娘は小さい頃

とんでもない暴れん坊で

本当に手を焼いた。

 

 

何度か窓から放り投げてやろうかと思った。

1階に住んでいて本当に良かった。

 

 

魔の2歳児の頃なんて

日本に連れて行ったら

見かけは可愛いのに

やる事なす事、超絶な暴れ具合いなので

周りの冷たい目が厳しかった。

 

 

イタリアではそういう暴れん坊もかなり許容され

モロッコでは、暴れん坊である事が当たり前なので

許容も何も、誰も何も言わず、

そんな暴れん坊、誰も気にしていないようだった。

 (つまり、娘にはモロッコの血が流れているのだ)



だから、私は長い夏休み、

モロッコで過ごすのがラクだった。

誰の目も気にせず過ごせたし

みんな私を放っておいてくれたから。


 

そんな娘も今は14歳。

とっても静かになった。

 

 

14歳になってグレるより

反対の方が良いと思っている。







 

 

 

 

義姉も出会った頃、相当な鬱で

私に暴言を吐いていた。

最初の3年間が一番辛かった。

 

 

そして娘が生まれて義姉はガラリと変わった。

鬱からハイになり

私の娘をこねくり回して可愛がった。

 

 

その勢いで

私が大学に行っている間

娘の面倒を全部見てくれていた。

 

 

オムツを替え、ミルクをあげ

寝かしつけてくれていた。

一緒に寝るのが嬉しいようだった。

 

 

義姉は子供っぽい人間なので

無垢な赤ちゃんが一番気が合うようだった。

 

 

他の大人には全く理解できない人間だったけれど

彼女が心を開かないのだから、仕方がない。

 

 

愛想が良いのは子供達にだけで

私にはずっとずっとそっぽを向いて過ごしていた。

それが彼女の憂さ晴らしの方法のようなので

私は義姉の存在すら無視して

 

反応しない技術を自然と身につけていた。

 

 

そう、こういう人間に

いちいち反応しては消耗してしまう。

 

 

私が小さい頃いじめられた話をした事があっただろうか?

反応しない技術は

私は既に小学5年生で完璧に身に付けてはいたけれど

しばらく間があいていたので忘れていた。

 

 

しかし、この挑発的な義姉との共存には

反応しないのが一番という事に気が付き

16年間無視し続けているグラサン


それでも喰ってかかってくる時がある。

それは、息子から掛かってくる電話で

何か嫌な事を聞いた憂さ晴らしの事が多かった。

 

 

喰って掛かってくる時には

冷静に私も正論を怒鳴りつけてやることにした。

すると、途端に黙った。

 

 

義姉と共存していられたのは

彼女は怒鳴りつけて頭を冷やせば

自分の間違いに気が付く人間だったからだ。

 

 

そしてマジでリツコを怒らせた、ヤベ!ってなると

必死に謝ってきたりした。

 

 

当たり前だろ!って感じだが。

 

 

ずっとずっとそれの繰り返しの16年だった。

それが2019年の夏、モロッコの息子の家に滞在していたら

息子家族は誰も義姉の面倒を看なかったので

義姉は絶望と共にボケ始めた。

 

 

彼女の横柄な態度は、モロッコでは認められなかったのだ。

(あ、当たり前だっちゅーの真顔

 

 

もう、彼女の人生

全部自分で墓穴掘ってるから。

 

 

そして墓穴掘りまくって

本当は将来リツコから逃げて

息子家族に面倒看てもらいながら

モロッコで余生を過ごそうと思っていた夢が

ガラガラと彼女の目の前で崩れ落ちたのだ。

 

 

もう頼る人がいない絶望。

 

 

これから身体は弱っていく一方なのに

あの大嫌いなリツコに世話にならざるを得ない絶望ニヒヒ

(いや、誰も最後まで面倒看るって言ってねーからニヤニヤ

 

 

これが呆けた原因だ。

 

 

暴飲も暴食も、暴言も人の悪口も

全部自分に返ってくるって

夫が何億回と貴様に言って聞かせたじゃないか!

 

 

私は言っても解らない人間に

そんなにギャンギャン吠えるな、と

夫をいつも制していた。

じゃないと、高血圧で君が倒れるからな。

 

 

この呆けの到来で

私は平安を得て、娘も静かだし

今、とっても静かな生活を謳歌している。

 

そう、同居16年目にして初の平穏な空気。

 

あぁ、素敵。

 

 

呆けて凶暴になる老人じゃなくて

本当に良かったラブハート

 

って、また豹変したりして滝汗アセアセ