義姉は推定1941年生まれ。

 

その頃、モロッコには戸籍の

記録システムが無かったらしく

戦後、妹と背を比べて、おおよその歳を

推定で出して戸籍を作ったのだというポーン


義姉の母は私の夫の母とは違う。

彼らは異母兄弟だ。

 

 

この母親、信じられない事に

戦後バリバリのキャリアウーマンで

朝から晩までホテルで働いていて不在だったのだという。

 

 

そこで通常ならお手伝いさんを置くべきなのに

他の女性を家に入れて

旦那に手を出されては堪らないというジェラシーから

その頃大きくなっていた長女である義姉を

まるでお手伝いさんかのように家で働かせた。

 

 

義姉は良い学校にも行かせてもらえず

妹や弟達のお食事を作ったり洗濯をしたりしていた。

 

 

義姉は肌の色が褐色でアフリカっぽい外見だ。

そして妹達は金髪青い目の祖母の血をもらい

肌の色が白く、目は緑色をしていた。

 

 

この外見の差や、学校を謳歌してフランス語ペラペラの妹達を見て

義姉は相当なコンプレックスを持ちながら捻くれて育った。

そして心の底では母親を恨んでいた。

 

 

その母親は若くして病気で亡くなり

父親は家事を見切れないので

すぐに若い後妻を迎え、

その後妻は義姉と4歳しか歳が離れていなかったのだという。

 

↑このうら若き女性がうちの夫の母親だ。

これがまた気品のある美しい女性だった。


義姉は相当この後妻にもやきもちを焼いた。

死ぬまで良く思っていなかった。





 

 

そしてやっと家事から解放された頃

義姉は家を出て

20歳の頃にはタバコを吸っていたのだという。

 

 

結婚して男の子を一人産むが

その頃には女垂らしの夫が

次の女性に手を出して結婚したのだという。

 

しかも義姉は第2妻で

第1妻が既にいて、

夫が手を出した女性は第3妻にしたのだという。

 

 

相当なやきもち焼きでHSP(繊細さん)の義姉は

その状況に耐えられず、子供を連れて家をとびだした。

 

 

そしてなんと、彼女は朝から晩まで働き出し

生後7日の息子を実家の後妻に預けて

夜中だけ自分の小さなアパートに

赤ちゃんを連れて帰るような生活を始めたのだ。

 

 

まるで自分の母親と同じ行動だ。

 

 

義姉は息子に不在の間

金だけを与え続けた。

 

 

この息子は愛を貰わず

金だけを幼い頃から握らされていた。

 

 

もちろん、私の義母である後妻は

息子である私の夫達と共に

義姉の息子を子供のように可愛がって育てた。

 

 

ただ、根本的に

受け継いだ血筋が違うのと

常に握っている金が災いして

この義姉の息子は、一緒に育ったうちの夫とは

まるで違う人間に育っていった。

 

 

 

もう、ここまで酷い育ち方をするのか!?びっくり

って驚く程、

同じ屋根の下でずっと一緒に過ごしていたのに

全く似ても似つかない、酷い酷いエゴの塊の大人に成長したのだ。

 

 

母親の事はキャッシュディスペンサーだと思っている彼。

もう、彼は3人の子供の父親なのに

未だに毎月年金狙いで月末にだけイタリアに電話してくる。

 

 

そう、義姉は息子が可愛いから償いのように金を与え続け

息子はキャッシュディスペンサーから吸い取った金を

賭け事と女遊びにパーッと使ってしまう生活を

物心ついた頃から楽しんでいる。

 

 

まるで第3妻にまで手を出した

彼の父親のように女癖も悪かった。

 

だけど彼の父親のように
何人もの女性を養う金がないから

この息子は外で他の女性と遊ぶのだった。

 

 

 

義姉は息子の嫁が大大大嫌いだ。

だから息子が他の女と遊ぶ事は

息子がこの自分が大嫌いな嫁から離れるのに良いキッカケになる

と思いながら黙って金を送り続けるのだった。


↑これと同じように

私の事だけ、イタリアの家から追い出そうと

本気で思っている義姉は嫌がらせを続けるのだ。

 

 

夫と子供達は可愛いから一緒にいたい。

でもこの日本人だけは許せない。

(私が健康で両足あるのが許せないのであろう)

 

 

こんな複雑な義姉の頭の中は

全てお見通しなのだが

この金の亡者である親子二人の

月末の送金電話合戦を16年も聞かされてきて

 

しかもこの電話のストレスのとばっちりを

義姉が全て私にぶちまけてくるという

かなり心外な結果に陥っていた私を、

 

誰か助けて真顔