義姉が左足を切断したのが2016年。

 

2017年に入院先のリハビリ施設で

6ヶ月程、義足で歩行練習をしていた義姉。

 

その頃の義姉は、足を切断したショックで

精神的な荒れっぷりが酷かった。

 

まるで私が新婚当初、同居をし始めた

あの悪夢の3年間がまたぶり返したか

それ以上に酷い荒れっぷりの再来だった。

 

私は途方に暮れていた。

まだ施設にいるだけましだった。

コレ、家に帰ってきたらどうすんの??と

本当に先の事は考えたくなかった。

 

 

私達の友人のC女史が一緒にお見舞いに行ったら

C女史に対しても酷い物言いをして

彼女は二度と義姉の見舞いに来る事がなかったほど。

 

 

いいな〜、他人だったら

こうやって去っていけるけれど

義務的に一緒にいなければいけない私は

どうすればいいの??

 

 

 

 

 

 

 

私がお見舞いに行かなかったら

「アイツは見舞いにも来ない

子供達の顔が見たいのに施設に連れてきてくれない。

アイツは酷い女だ!」と電話で世界中に言いまくるのだ。

スマホを操る老人、恐ろしや。

 

 

 

私は子供達に挨拶に行かせる為だけに

週一回、土曜日の午前中の日本語補習校の後

ヘトヘトになりながら子供達を連れて行き

義姉の顔を見ないようにそっぽを向きながら

子供達を連れて帰り、

その後のアラビア語学校に連れて行ったりしていた。

 

 

もう、私はこの酷く荒れた

憎たらしい顔をした

憎たらしい暴言しか吐かない義姉を前に

本当に死にそうなくらい疲れていた。

 

 

幸い、入院中にそこの施設に監察医が出向き

義姉の障害者年金を出すための診察が行われた。

もちろん、100%の障害度で

独りでは生活出来ないという事で

障害者年金(介護する人に支払うための年金)も出た。

 

 

その時は良かった。

 

 

その後、退院した義姉は

家でも大荒れ。

 

私は仕方なく、ボランティアの女性に

散歩にでも連れて行って

気晴らしさせてもらおうと

私が出来ない彼女とコミュニケーションする仕事を頼んだ。

 

 

するとだ!

義姉はボランティアの女性に弱者の立場から

私(リツコ)が悪者であると信じこませ

こんな女に介護を頼めないから

この女を追い出して息子を呼び寄せたい、と頼み込み

簡単に騙されたボランティアの女は

義姉側の見方に付いて色々と画策を始めた。

 

 

 

そして、義姉が猛威を奮う、まっ只中の2019年。

二度目の障害の度合いを確認する監察医の診察があった。

 

5人の医師、看護師に囲まれて

義姉は全ての医療書類と身体の状態を調べられた。

 

義姉は私とは顔を合わせる事もなく

フンと向こうの方を向きながら

医師からの質問に答え、解らない質問は私に答えさせていた。

 

 

そしてトイレはどうしているのか?と聞かれたら

義姉はオムツの確認の時に

なんと!オムツをしてきていなかった。

ノーパン状態でパジャマを捲り

医師達が途端に目を逸らした。

 

 

そして義姉はトイレは自分で

車椅子から便座に移動して独りで出来ると言ったのだ。

彼女は、寝る時オムツを付ける以外はノーパン族だった爆笑

 

 

義姉はなんでも出来る方が良いと思ったのだろうが

きっとこの答えがアダとなり

障害者のパーセンテージが下げられてしまったのだ。

 

 

ほら、見たか真顔

 

 

障害者年金が欲しければ

みんなどれだけ自分が弱い状態でいるかをアピールするのに

彼女は出来ることばかり自分でアピったのだチーン

 

 

「もう、全て彼女(リツコ)の世話になってます〜。
 オムツも変えてもらっています〜。

 リツコ様々ですぅ〜デレデレ

 

とか言っておけば良いものの

こんな奴に世話になっていられるかバカドクロ

 

って態度が、監察医の目には

コイツは独りで家にいられる

と判断され、この時点で障害のパーセンテージは

100%はもらえず、それ以下に下がってしまったのだ。

 

すると、障害者年金はもらえなくなる

なんて事は、義姉は知らなかった。

 

 

 

ま、何度も言うけれど

私はそんな「はした金」目当てに生きている人間ではないので

彼女のパーセンテージが下がろうが上がろうが

私の人生には全く支障はないのだが。

 

 

お金の大好きな

って言うか、もう人生その金しか

楽しみがない義姉にしてみれば

それは、一大事だった。