2020年、3月にロックダウンで

出かけられなくなり

みんな手探りでビデオレッスンを始め

 

私は3食、お食事係 + 宿題送信マシーンとして

猛烈に働かされ、あっという間に

6月になって、なんともう!学校が終わろうとしていた。

 

 

 

娘は中学校の最終試験は

小論文をプレゼンするという事で

その論文を書くにも一苦労。

 

試験当日はzoomで

先生6人がずらりと画面上に並び

超緊張する中、プレゼンしたのだと言う。

 

プレゼン中は

あまりにもワナワナしている娘に

家から出て行ってくれ!と言われ

夫と一緒に外でカフェを飲んで待った。

 

 

無事終わったようで

こちらもホッとした。

娘は結局学校に戻れず仕舞い。

 

置いてきていた本や体育のスニーカーは

一人分ずつ透明の大袋に入れられ

後日配布されたのを取りに行っていた。








息子も最後まで学校には戻れず。

イタリアは小学校5年生で卒業なので

お母さん達が相談して

アメリカの大学卒業式で被る

四角いなんちゃってハットを

全員分300円くらいで購入し

それを被ってパソコン画面の前で卒業式となった。

 

 

と言っても、パソコンの前で

おやつを用意して、みんなでお祝いした後

オヤツタイムになっただけ。

 

 

 

本当はダメと言われたけれど

卒業写真をみんなで撮りたくて

その日の夕方、学校前に集合して

警察に見守られながらパチリと集合写真を撮り

その後、公園でみんなで乾杯した(親達がウインク

 

 

これから3ヶ月のコロナ禍の夏休み

どうするんだよ!?とみんなで不安を抱えながら

やっと宿題送信マシーンで無くなる日が来て

マンマ達は精神的に解放された。

 

 

 

しかし、解放されたと共に

毎年モロッコに行っていたのに

久しぶりにイタリアに居残る事になり

どうなることやら??と思った。

 

 

でも幸いな事に、義姉がもう

それほど大騒ぎをしなくなっていた事。

誰も家に訪ねて来る人がいない事。

子供達が随分大きくなって

ママ無しでも公園に遊びに行ける事。

 

 

私にとって、とても良い条件ばかりが揃っていた。

これだけ好条件が揃っていれば

別に無理してモロッコに行く事もないのだ。

最愛の義母ももういないし。

 

 

モロッコは、子供が小さくて

誰かと遊ぶ必要があった頃
 

夏休みのフィレンツェでは

みんな海の家に行ってしまって
 

街は空っぽになってしまうから

私達も仕方なくモロッコに逃避していたのだ。


私は夏のモロッコからも解放されて

サイコーに自由な気分を初めて味わった。