私がフィレンツェでとても頼りにしていた友人がいた。

残念ながら家庭の事情で日本に帰ってしまったのだけれど。

 

 

彼女との出逢いは共通の友人の結婚パーティー会場。

 

幸せな雰囲気に包まれた会場は

みんなが朗らかな笑顔で笑っていた。

 

私は友人が最高潮の幸せに包まれている事を喜び

そしてソファーの隣に座っている

同じくらいの赤ちゃんを抱えている彼女と

初めてお話をした。

 

 

すると、私達が抱えている生後5ヶ月の赤ちゃんは

1週間違いの2009年の7月、

同じ助産院の、同じ青い壁の部屋で産まれた事が判明したポーン

 

 

そういえば、一度血液検査に

こんな感じの日本人女性が来ていて

すれ違ったのをみた事があったっけ。

 

 

そして助産院の中でも

検診の為に訪れていた時

彼女の事を一度見かけた気がする。

 

 

と、思い起こせば...... って事が数々と頭に浮かんでは消えていった。

 

 

この日から私達は意気投合し

フィレンツェの同じ方面に住んでいたので

上の子を幼稚園に送り込んだ足で

いつも彼女の家に遊びに行っては

朝から茶を飲み、彼女はいつもチャチャッとパスタを一皿作ってくれて

一緒に食べましょう!とランチをして別れた。

 

 

とても落ち着いた女性で

子供達も仲良く遊ぶので

私達は沢山の時間を一緒に過ごした。





 

 

 

そのうち彼女はフィレンツェの反対側に引っ越してしまい

その数年後、私も偶然そちら方面に引っ越した。

そしてまた一緒にランチを頻繁に食べるようになった。

 

 

神様はたまに、こういう素敵な友人をギフトにくれる。

私はずっと一緒にいたいと思うのだけれど

また私達は、今度は日本とイタリアという距離で離れてしまった。

 

 

私の友人は極少数なので

彼女が帰ってしまう時

とても寂しかった。

 

 

彼女は私に車をくれた人だポーン

まるでパスタを一皿作ってくれるかのように

車を一台置いていってくれた。

 

 

マニュアル車は、もはやペーパーで運転を避けていた私は

このオートマ車で人生が変わった。

 

 

私は彼女のさり気なさが好きだ。

全てがさり気なく、

彼女の前では全てが可能のように思われた。

 

 

彼女は神を信じている家系の人で

全てを委ねているから全てが可能なのかもしれなかった。

 

 

私達はこの2019年の年末

やっと私がコタツから出て日本で動き出した頃

彼女が住む東京で再会出来た。

 

 

子供達も再会に大喜びで

大人も子供もハシャギまくった。

 

 

彼女は素晴らしい仕事にも恵まれ

いつも肩の力が抜けていて

全て順調に進んでいるようで嬉しかった。


私は彼女に会う度に

彼女と繋がっていられる事に感謝の気持ちでいっぱいになった。

 

お互い何かをあげる関係とか(帰国の際頂いた車は別として)

そういう利害関係が一切ない

いつからご縁があるのか解らない

ただただ一緒にいて安心できる人って

 

探したって、そう見つかるものでもない。

 

 

特に外国にいると

露骨に「この人は仕事をくれるから」とか

利害の一致で一緒にいるような

友人関係を見受けたりする。
 

 

 

私はそういう関係を見るとヘドが出そうになる。

もし、私にそういう人がまとわり付いてきたら

きっと跳ね除ける。

 

私は誰からも仕事なんかもらうつもりはないし

自分の仕事くらい自分で掴みに行ける。

 

 

 

 

それよりも、ただただ心の平安をもたらしてくれる

彼女のような、静かで、落ち着いていて

満たされていて、特に私に何を求めているのでもない

何でも話せる友人の存在が嬉しかった。

 

 

また1年間会えないかもしれないから、と

私は彼女と再会した半日、

思い切り彼女からの穏やかなエネルギーをチャージした。

 

 

再会してやはり、こんな人、他にいないと思うのだった。

 

私は、物欲は全くないけれど

人生に於いて、こうして心を許せる

ほんの数人の友人は側にいて欲しいといつも思っている。