夫がモロッコに来ると
ほとんど友人訪問で日にちが過ぎて
イタリアに帰ることになる。
今回も夫はお母さんが不在のモロッコ帰国に
悲しみにうちひしがれながら
心ここにあらずといった感じのまま
全ての親戚、友人訪問を終えて
最後にB氏宅にお呼ばれして
お昼のご馳走とおやつをご一緒して
イタリアに帰ることになった。
今年は犠牲祭をB氏宅で過ごさせて頂いただけでも
親戚からの喧騒から逃れられて
私は感謝の気持ちでいっぱいだった。
私達が帰って来た4日後に
義姉がイタリアに到着した。
夫と友人はボローニャ空港に迎えに行ったが
彼女はまだモロッコにいると勘違いして
なんでお前らイタリア語喋っているんだ?
と言ったそうだ。
義姉はこの頃から徐々ににボケ始めた。
何故か?
義姉はあれほどモロッコに帰って
息子に会いたい!と言って帰ってみたら
誰も彼女の面倒をみてくれなくて
ショック状態だったのだ。
そりゃ〜、当たり前だよ。
全員が全員私のように
ありがとうを言わずとも
面倒みてくれるなんて思うなかれ!
って感じだが。
イタリアでどれだけ良い思いをしているか
思い知ったことだろう。
そしてモロッコ人にだって
オムツ付きで行くのなら
きちんとお金をあげて、感謝の気持ちも述べなければ
誰も世話なんかしてくれないよ。
でも息子はお金を盗み取るので
奥さんにお金は一銭も渡らず
介護に対する他人への報酬は払われなかった。
つまり、お金を管理するべき息子が
全て自分の懐に入れるもので
誰も収支を管理出来なかったのだ。
だから奥さんは出て行ってしまい
義姉は独り残されて
オムツを独りで変える術を習得した。
義姉的には、もっと女王様のように扱ってくれると
想像していたようなのだ。
至れり尽くせりで
バカンス中くらい良くしてもらえると思っていたのだ。
だって彼女は大金を渡したのだから
息子がその辺管理してくれていると
愚かにも思い込んでいるのだ。
それなのに独り取り残された。
私は何も言わなかったし
夫は息子の浮気写真流出事件から
息子と会わないようにして、一度も挨拶もしなかった。
もともとこの息子に何か言うつもりは一切無い。
義姉は本当に放置されたのだ。
自業自得と言えばそれまでだが
義姉にとってはとてもショックな事だった。
イタリアに帰ってきて
私がその話題に突っ込むと
彼女は泣き出した。
「もっとみんな良い人だと思っていたんだよぉ〜。
みんながチヤホヤしてくれると思ったんだよぉ〜」
子供の育て方も知らなければ
他人への接し方も解らない
ドラ息子を信用しきっている
本当に可哀想な人だ。
(もちろん、アナタの息子が大金を
全部懐に入れているんだよ!
と忠告しても信用しないので拉致が明かない。)
コレが亡くなった義母のように
すぐにお駄賃をあげて
優しくありがとうね!と微笑みかければ
みんなが率先して助けにきてくれただろう。
捻くれた性格の義姉が
私のイタリアでの辛抱に甘やかされ
モロッコでも同じ態度で他人に接してしまうのは
私のせい?
いや、人のありがたみを解らない彼女のせいだろう。
もうこの歳になって、
学ぶこともないだろう。
そして彼女はそんな現実逃避するために
色々忘れ始め、幸せの境地に半分足を踏み入れたのだった。