夫は2019年のモロッコでは、様子が変だった。
いつもは、お母さんの為に
やる事がいっぱいあって目をまわしていたのに
今年は初めて、お母さんが、いない。
彼は
お母さんの笑顔を見に行くという
帰国の大きな目的を失って
途方に暮れている様子だった。
ここに帰ってきても
ただただ大きかった母の存在が
ポッカリとなくなった抜け殻を
見にきているようなものだった。
そして親戚達の豹変した態度。
ここの親戚達は
お母さんの存在によって
統制されていたのだと
改めて思い知らされた。
義姉が里帰りしている息子宅など
目を当てられない状況だし
下の階の親戚も、状況は荒れまくっていた。
弟も既に失っている夫に残る兄弟は
フランスの実兄と、イタリアの同居している義姉のみだ。
フランスのお兄さんの嫁は
お母さんの死後、お母さんの部屋を鍵で閉めて
フランスに帰っていった。
勝手に遺産相続しているし
もう、夫は呆れ果てて
来年から二度とカサブランカに帰らない!と怒っていた。
来るならイタリアからマラケシュに直行する!
と怒りまくっている。
実際、この年、長い間会っていなかった
マラケシュの親戚と再会し
なくなったお母さんにそっくりの叔父さんに挨拶して
私は彼の指が、義母のそれと瓜二つだったので泣いてしまった。
この直系の親戚こそ
お義母さんの血を引いた
とても品のある人達なのだった。
義母は、アルジェリアからの移民だった。
大金持ちの祖父は、戦争の時に全財産を持って
モロッコに移住したのだそう。
しかし、パーッと使ってしまう性格で
どうやって使い切ったのか?
一人娘の義母にはアパート3軒ほど残して
後は散財してしまったのだそう。
義母は32歳の時に夫を亡くし
その後は女手一つで子供達を育ててきた。
夫の年金と貸しアパートの家賃収入で
なんとかみんなを養ってきたのだ。
もっと恵まれた余生を送れたら良かったのに
お金は周りの人間に吸い取られ
自分は細々と生きていた。
しまいには自分の脇にいてくれた
息子にも先立たれ
最期の年は、ただただ祈りと共に生きていた。
夫がいくらお金を送っても
お母さんはみんなにあげてしまって
自分には何も残さない人だった。
それか、大切にそのお金を包んで取っておいて
夫が帰って来ると、これで美味しいものを食べておいで!と
夫にお金をくれるのだった。
そんなお母さんを亡くして
夫は目の焦点が定まらず
いつもB氏と午前中カフェに行っては
その後何をして良いのか解らないようだった。
どこにいても楽しめていない様子が可哀想だった。
私はそんな夫を見ていられず
マラケシュに旅行に行こうと連れ出したのだった。
素晴らしい未知の親戚との出逢いに
私の心も少し軽くなった。
もう、カサブランカの親戚とは
私も会いたくなかった。
血筋だけは争えないという事を
思い知らされた滞在だった。
夫の直系の家族は
「ずるさ」を感じさせない人達だった。
一緒にいて気持ちが良い人達。
心から安心していられる空間。
私はカサブランカの階下の親戚の家では
いつも子供達が何かをくすねたり
そういう無駄な嫌な思いをしなければならなかった。
それは外から出入りする子供達の仕業だったり
色々だけれど、そんな心配をしながら
いつも自分のものを隠しながら滞在するのは嫌だった。
私達が帰るところは選べる。
でも、親戚は選べないのだった。
だから、夫は自分の生まれた所には
もう帰らないと決めたのだった。