私とC氏がカサブランカから

マラケシュに行く計画をしていたので

 

アガディールの妹H女史宅で涼んでいたF女史は

妹の車でマラケシュに戻ってきてくれた。

 

その妹宅には

以前イタリアに住んでいた姉妹のN女史も娘さんと来ていた。

 

H女史は最近アガティールに移住して

娘さんはウクライナで歯科医になるために勉強している。

 

元イタリア組N女史は

イタリアで勤めていた会社が潰れて

イタリアの家など売り払ってロンドン郊外に移住した。

と同時にアガティールの妹の家の近くに家を買った。

 

F女史はカサブランカの避暑地であった実家を失い

灼熱のマラケシュから逃げ出す避暑地はアガディールとなった。

 

 

そしてこの夏、アメリカから弟のC氏

アガディールからH女史

イギリスからN女史

イタリアから私と

マラケシュの長女、F女史の家に

4家族の女子供が結集したのだ。

 

これだけ人が来ても

この家は広くて全く問題なかった。






 

 

そしてこの全員が話している姿が

かなり笑えた。

 

英語、モロッコ語、イタリア語、フランス語が

当たり前のように飛び交っていた。

 

誰も全く会話には不自由していなかった。

 

イタリアで生まれ育ったN女史の20歳の娘さんは

イタリア語もネイティブだけど

今はイギリスで英語を喋っているので

英語の方がラクだからC氏とは英語で喋っていた。

 

 

ウクライナから里帰り中のH女史の娘さんは

昔から語学が堪能で

ウクライナ語は1年で喋れるようになったという。

ロシア語も勉強中で、私が喋るイタリア語もかなり解る。

 

語学センスがある人ってこうなのよねー。

10分の1でも良いから、私にもそんなセンスがあったらな。

イタリア語話せるようになるまで

8年掛かりましたー滝汗とか言ったら、なんで?って言われちゃうよね。

 

 

F女史は、当たり前のようにフランス語を話し

娘さんWちゃんもフランス語、英語は読み書き完璧。

残念ながら娘さんが18歳の時にF女史の旦那様が亡くなり

娘さんのフランス留学はポシャってしまった。

 

しかしモデルのように美しい娘さんは

大富豪のお嫁さん&キャリアウーマンとなって

今はお母さんのF女史を助けている。

 

 

その娘さんの息子J君は

生粋のモロッコ人なのに

プライベートの学校で英語とフランス語で話しているので

アラビア語を話さないポーン

 

 

おい、それってヤバくない??

モロッコでアラビア語モロッコ方言喋れなかったら

バカにされないの??

 

お母さんのWちゃんは

むしろアラビア語は喋って欲しくない

って雰囲気で、フランスで日常生活を送っている。

 

 

もう、さっぱり解らない。

これはモロッコのフランス語で授業を進める

プライベートスクールのママ達のプライドなのだろうか??

でもそれっておかしくね??

 

 

日本で生まれて日本語を話せず

インターに通わせて英語で喋っている

日本人の母は、貴様一体何様?ってなるよね?

 

 

ま、いいや。

 

 

とにかくこの家は

何語で喋っていても良い雰囲気で

私の子供達もとても頭が自由になるようで。

 

アラビア語が話せないJ君と

仕方がないからフランス語で話し始めたりするのだ。

 

こうして子供はマルチリンガルになっていくんだよね。

だからうちの子供達もJ君にアラビア語喋れよ!と

アラビア語モロッコ方言をを教えてあげたりしている。

 

 

こうしてあっという間にここでは

とても面白い時間が過ぎていくのだけれど

 

しかし、外は40度越えていて暑い笑い泣き笑い泣き笑い泣き