亡き義母がいないモロッコは
相当寂しいだろうと想像していたけれど
 
フランスの義兄の嫁によって
義母の部屋の鍵が締められているのを見て
私は、もう、悲しいを通り過ぎて
呆れてしまった。
 
 
義母は本当に静かで、知的で
特に何も言わなかったけれど
みんなに尊敬されながら
この破茶滅茶な家族を黙って統率していたんだなぁと
私は今、その存在の大きさを改めて再確認した。
 
 
そしてこの大いなる存在を失った家は
統率を執る人もなく
それぞれの人間が、それぞれの頭のレベルで
勝手な事をし始めたのだ。
 
 
フランスの義兄は病んでいて
あの嫁の尻に敷かれているので音信不通。
唯一残されたうちの夫は
この聞く耳など持たない親戚達に何を言っても無駄なので
早々、全てを放棄した。
 
イタリアにいる姪っ子が良い例だ。
聞く耳を持っていないのに
誰かの間違った意見は鵜呑みにして
ジェラシーと共に夫を敵にまわしたのだ。
 
 
彼女には何を言って聞かせても
右耳から入って左耳から出ていってしまうようで。
私もこの人と話しても無駄だな、といつも思っていた。
 
 
もう、夫はこの残された「直系ではない名ばかりの親戚」
と口を聞かないと決めたのだ。
 
 
悲しいけれど、お互い良いエネルギー交換が出来ないのであれば
別に交わる必要もないし、離れるのが良いと思う。
 
 
 
 
 
 

 

 

今年はどんなモロッコ滞在になるのだろう?

いつも全く無計画な私は

義母の家にはなるべく居たくないな〜と

漠然と思っていた。

 

 

すると、その願いを

神様が聞いていてくれたかのように

お呼ばれで大忙しのモロッコ滞在となり

私は殆ど夫の実家に行かずに済んだウインク

 

 

まず、モロッコ到着早々

この結婚式前夜祭から呼び出された。

 

 

夫の親友家族の娘さんが結婚するのだ。

私はほぼ彼らの親戚同様の扱いで

前夜祭から呼ばれて広いヴィッラに

バラバラと来ている来客の間を挨拶してまわった。

 

 

上のリンクに飛んで頂ければ

驚きの前夜祭の様子が書かれているのだが

私はこの結婚式、相当楽しんだ。

 

 

まず、自分の親戚より

一緒にいて気持ちの良い人達ばかりだった。

 

この家族は、夫と同じ砂漠の出身の人達だ。

なぜか砂漠の人達は静かで実直な人が多い。

 

そして私はそういう人達といると

心が落ち着くのだ。

 

 

毎年私はこのお家に遊びに来ては

相当リラックスさせてもらうのだが

彼らの親戚もまた、良い人ばかりで

3日3晩、私も子供達も飽きもせず楽しみ続けた。

 

 

このイベントは、結婚式だけでは終わらなかった。

その後、花嫁が新居に移り

今度はそこでフェスタが行われるのだが

なぜか私も引っ張り出されてみんなと参加した。

 

 

最初はみんな私の事を知らない人もいたのだが

あまりにも私が出席しているものだから

ほぼ親戚同様の扱いとなった。

 

 

その後も、娘を送り出したお母さん(親友の奥さん)が

寂しいから田舎に一緒に行きましょう♪

と私を連れ出して彼女の実家の田舎に行ったり

私はとにかく外出し続けていた。

 

 

まるで「実家にいたくない」という私の願いを

叶えてもらっているかのようだった。

 

 

 

心から感謝の気持ちを天に放った。

 

 

 

世の中はエネルギーで出来ている。

私が心地良く感じる所へ

私は自然と導かれていると、ヒシヒシと感じるのだ。

 

 

特にモロッコではそれを感じる。

 

 

義姉が大騒ぎして死にそうになり

全ての人が離れていった2019年初め。

 

 

私は確実に生きやすくなっている。

 

 

全く無計画で来ているモロッコだからこそ

今年も流されながら楽しんでいる。

 

 

私は大海原で、浮き輪をつけて

身を任せていれば良いのだ。

 

 

たまに赤い帽子を被った監視員の人に

ピーッと笛を吹かれたら、元の位置に戻って

また流されて、面白そうな人がいたらお喋りして。

 

 

まだまだ長い夏は始まったばかり。