「期待に応える」ことが人生の全てだった。
 

 

 

小さな頃から
周りの子達より、なんでも早くできた。
言葉を話すのも
歩き出すのも
背が伸びるのも
計算も
漢字を覚えるのも
勉強ができるようになるのも。
だから家族は
特に母は、私にとても期待していた。
その頃の母は
真面目で一生懸命で
とてもとても厳しかった。
2歳の頃のホームビデオに
私が漢字の書いてある本を
音読している映像がある。
隣には、余裕のない表情の母。
でも、私が少しつまずくと
「ちゃんとしなさい!」と、怒られた。
2歳、もちろん漢字なんて読めやしない。
母が音読したのを
必死で覚えて、読めているフリをしていた。
「YUKAちゃんは
 こんなに難しい漢字も読めて凄い!」
「神童よ」
褒めてもらえると、ホッとした。
私がうまくできたときら
母が笑顔になってくれたから。
📚
母に言われるがままに進学校に通った。
小学校では1番だった成績も
その学校ではいきなり「普通」になった。
 
私は母が思うほど頭が良くない。
もっと頭のいい子は沢山いるんだ。
どんどん苦しくなっていって
勉強から逃げた。
学年の最下位近くまで成績も落ちて
学校をサボるようにもなった。
これが私の原体験。
 

 

私の将来の夢は
「弁護士さん、お医者さん、小説家、、」
お母さんから褒められた
勉強や作文に関することばかりで
一貫性もなかった。
自分のやりたいことや
やっていて楽しいことは
小学校の時にはすでに
分からなくなっていた。
  

 

 

 
1番怖かったのは
「失望」されること
 
2歳から始まった母の英才教育
3歳からピアノ
水泳、そろばん、塾、お習字
たくさんの習い事も今思い返せば
やりたくてやっていたことや
自分の好きなことは1つもなかったけど
「褒められる」ことは気持ちがいいし
認めてもらえる感じがして、安心した。
だから、子供の頃は
自分は勉強が好きなんだと思っていた。
📚
学校は退屈だった。
勉強も塾より遅れていて、
授業の内容は
すでに全部知っていることだったから。
毎日塾に行って
夜は宿題をやって
ドラマなんて1つも見たことがなかった。
友達だと思っていた人達からは
いつしか仲間はずれにされた。
学校では孤独だったけど
お母さんが悲しむと思ったから
つらくてもなかなか言えなかった。
受験をして
どうせみんなとは違う中学に行くから
ここでさよならだ。どうでもいい。
そう思うようにした。 

 

 

中学は母に言われるがまま
県内で1番の進学校に通った。
聞こえは良いが
「補欠」からの繰り上げ合格だった。
小学校では1番だった成績も
その学校ではいきなり「普通」になった。
 
私は母が思うほど頭が良くない。
もっと頭のいい子は沢山いる。。
授業もすごく難しくて
ついていけなくなった。
どんどん苦しくなっていって
勉強から逃げた。
 
学年の最下位近くまで成績も落ちて
高校生の頃には
学校をサボるようにもなった。
📚
大学は
小さい頃から両親に約束していた旧帝大ではなく
地方の国立大にした。
「そんなら大学にいくなら
 1番の成績で合格しなさい」
母にそう言われた。
実際には、2番で合格した。
 
ここでも結局、「特別」にはなれなかった。