平成最後の日に鉄道写真で平成時代の京阪線を振り返る | 鉄道写真とデジタルカメラ(コンパクト・一眼レフ・ミラーレス)の「勝手にひとりごと」

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主にコンパクトデジカメ(コンデジ)でデジカメ鉄道写真研究家である板井岳太(イタイ_タケタ)が撮影(一眼レフ・ミラーレスも使用)した鉄道写真について好き勝手に「ひとりごと」を言っています。

京阪旧3000系

 

上の写真は平成2年に撮影(もちろんデジカメではなくフイルムカメラで撮影)したものですが、平成が始まった時には特急車は旧3000系のみでした。

 

 

京阪8000系02

 

デビュー25周年記念ヘッドマークを付けた8000系です。2014年(平成26年)に撮影していますので、8000系は平成元年(1989年)にデビューしています。デビュー時は7両1編成のみですが、その後6両編成の旧3000系に8000系中間車1両を組み込んで運用してしました。

 

 

京阪8000系01

 

同時期(平成26年)に鴨東線開業(出町柳延伸)25周年記念ヘッドマークを付けた8000系も運転されていましたので、鴨東線開業も平成元年(1989年)ということになります。出町柳延伸に伴い旧3000系だけでは特急車が不足することから、鴨東線開業前にこの8000系第1編成(8001F)が導入されました。

 

 

京阪3000系

 

営業運転開始前の3000系です。2008年(平成20年)の中之島線開業と同時に営業運転を開始しています。

 

 

平成時代の京阪線を振り返ると、特に車両に関して「迷走」していたという印象があります。

 

当初8000系は旧3000系の増備という扱いでしたが、結局旧3000系は全て無くなりました。

 

固定式セミクロスシート車として登場した9000系は一部ロングシート化したりしていましたが、結局全てロングシートになりました。

 

7200系に導入された客室窓のパワーウィンドゥは9000系には導入されましたが、それ以後は導入が無く9000系も全て撤去されました。

 

単色塗装で登場した10000系は、新塗色になったときに結局他と同じ塗色になりました。

 

京阪特急名物のテレビカーは衛星放送受信に切り替えたり、地デジ対応したりしていましたが、結局廃止されました。

 

中之島線開業直後の8000系と3000系による「特急」「快速急行」では駅到着前と発車直後の車内自動放送で向谷実氏作曲のメロディーが流れていましたが、一部の駅到着前と発車後を除いて中止になりました。

 

8000系はオールクロスシートのままでリニューアルが始まりましたが、途中からセミクロスシートになりました。

 

そして最大の「迷走」が3000系です。中之島線直通の「快速急行」用として登場しましたが、中之島線発着の「快速急行」大幅減により、淀屋橋発着の「特急」用となり、「洛楽」の定期運転化により行楽シーズンを除く全ての「洛楽」に使われ、「洛楽」専用の前面表示をするようになった途端に、臨時列車を除く休日の「洛楽」の運用から外れました。

 

 

令和時代には3000系へのプレミアムカー組込みや5扉の5000系廃止が予定されていますが、「迷走」することがないことを祈るばかりです。また、中之島線の延伸の構想もあるようですが、令和時代に実現するのでしょうか。

 

 

Photo and Write by Itai Taketa (板井岳太):デジカメ鉄道写真研究家

 

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