西暦2000年頃から次第に火がついたように記憶している「御朱印ブーム」
特に、平成から令和への改元頃に急激に広がりを見せたように感じています。
昭和から平成に移行してから、世の中では元号から西暦の表示が増えたように記憶しています。
そのため、平成から令和への移行に際して元号で記されているものの1つとして、御朱印を求めた方もいるのではないでしょうか。
そして、この頃から朱印を押して ”奉拝” の文字や、参拝日を墨書するだけのものが主流だった朱印に、様々なスタンプを押したり、様々な文字を書き入れたり、水墨画調にしたりと、いわゆる「映える」朱印が増えてゆきます。
さらに凝った意匠(デザイン)になると朱印帳に書き込むことができないため、別に準備して ”頒布” する形式の 朱印 が登場します。
元々、朱印帳を忘れた方のために、神社仏閣が半紙に朱印を押してお渡しするという、所謂「紙朱印」と呼ばれるものがありましたが、ある意味でその発展型とも言えるのかも知れません。
この「紙朱印」は、新型コロナウィルス感染症の拡大により、急速に広がりを見せました。
社頭で朱印帳の授受をすることによる接触を避けるため、紙朱印のみという対応をする神社仏閣がでてきたためです。
予め朱印を押して墨書しておく「紙朱印」が、やがて印刷などに変わった神社仏閣も少なくありません。
こうして、御朱印はこの20年あまりの間に大きく変化しました。
朱印が社頭収入の中でそれなりの比率を占めるようになった神社仏閣や、それを意図した神社仏閣の中には 様々な物事とコラボレーションした朱印も企画されるようになりました。
という流れからの、この記事です。
最近は、朱印が主体という方も少なくないように感じます。
伊太祁曽神社の社頭でも、しばしば朱印を受けて参拝せずに帰って行かれる方を見ます。
御朱印については少し思うところもありましたので、伊太祁曽神社では7月より所謂「紙朱印」の対応は廃止としました。
そもそも当神社では、所謂「映える朱印」の実施はしておらず、そのためネット上では
「伊太祁曽神社は朱印がしょぼい」との書き込みも見たことがあります。
しかし、御朱印は「朱印」が主役であるとの考えと、参拝した証であるということ、そして朱印帳で大切に扱って欲しいという思いから、伊太祁曽神社ではコロナ渦中でも朱印帳への直書きを中止したことはありません。
また「映える朱印」を主体とした取り組みを今後とも行う予定はありません。
地味ではありますが、変わらない(とはいえ全く変えないという意味ではありません)昔ながらの形式を守りつつ時代に合わせてゆきたいと思っています。