2月17日は全国の多くの神社で「祈年祭」という祭典が行われます。
「祈年祭」は「きねんさい」または「としごいのまつり」と読みます。
祈年祭は古くから行われている祭典です。
「とし」とは「その年の収穫」を指します。
「とし」を「乞う」お祭りなので「としごいのまつり」と言うのです。
平安時代に編纂された法令集『延喜式』の巻9・巻10は「神名帳」と呼ばれ、約3,200の神社名が国別に列記されています。
ここに掲載されている神社は ”当時存在していた神社の一覧” ではなく、”祈年祭に際して国家が幣帛を奉る神社の一覧” です。
つまり、当時も日本各地に数多くの神社が存在していましたが、その中でも特に重要とされる神社 約3,200社 のリストが「延喜式神名帳」なのです。
古くは2月4日に行われていましたが、戦国時代に廃絶。
明治に入り、国家管理時代に復活し、宮中及び多くの神社で再び斎行されるようになりました。
この時に宮中では2月17日が祭日とされ、多くの神社でもこれに倣って同日に斎行しています。
伊太祁曽神社では2月19日が祈年祭となっています。
これは近隣にある2つの官幣大社(日前宮と竈山神社)にも幣帛供進使が行っていた関係ではないかと推察されます。
つまり日前宮(日前神宮・國懸神宮)では2月17日、竈山神社では2月18日に祈年祭を斎行していたと。
今年はWEBのあちらこちらで「祈年祭」に関する記事を拝見しました。
勿論これまでにもそういった投稿を目にすることはありましたが、その多くは神社発信のもの。
今年目にした記事の多くは神社発信ではなく、氏子崇敬者など神社を参拝する立場の方からの発信が多かったように思います。
それだけ、祈年祭 というお祭りが認識され、また大切だと感じていただけている証左なのだろうと思うところです。