西尾昭二先生の命日に思う | 押忍!! 武道と狩猟と草莽崛起の日記

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合気道、空手道、居合道など武道修行に励みつつ、地域の農村を守るために狩猟に出掛け、その狩猟技術向上のために射撃練習も行うほか、祖国たる皇国日本を護るため「草莽崛起」にも取り組んでいます。

おはようございます。

今日は皇紀2683年(令和5年、基督歴2023年)3月15日です。

3月15日といえば、そう、我が生涯の恩師、西尾昭二先生の命日です。

合気会師範だった西尾先生は、平成17年3月15日に前立腺がんのためにお亡くなりになりました。

あれからもう18年も経ったんですなぁ。

直弟子であり近侍だった小生は、稽古で先生が説明演武をする際の受けのひとりであり、先生の付き人であり、鞄持ちであり、アシスタントであり、広報責任者でもありました。

そして、西尾先生とは大切な大切な、最高に良い思い出がいっぱい、いぃ~っぱい、あります。

そして、本当にほんの一部の人しか知らない最期の姿も、小生はこの目で見ています。

あれ以来、小生は自分の足で歩き始め、柔道もやり、糸東流空手をやり、青年海外協力隊へ行き、ミクロネシア連邦警察の護身術教官をやり、ミクロネシア合気道連盟を設立し、町道場を作り、ミクロネシア短期大学ナショナルキャンパスでも指導し、帰国後は日本空手協会で黒帯も取り、フルコンタクト空手の大会で準優勝もして、そして頚椎椎間板ヘルニアを乗り越えて、自衛官と合同の戦闘者合宿にも参加してきました。

が、今になって思えば、西尾先生の合気道がどれほど素晴らしく、如何にとてつもなく凄い技術体系だったのかを、そして凄まじいまでに素晴らしい理念を内包していたのだということを、まざまざと感じています。

というわけで・・・

さて、そろそろ小生も復活せねば・・・おねがい

どーでもいーけど、2枚目の写真の小生上矢印ときたら、まぁ~メッチャメチャ肥ってますな。もうはち切れんばかりにパンッパン!アセアセ

 

そして3枚目の小生上矢印は・・・シュッとしてスッキリ。ウシシ

同一人物とは思えんほどエライ違いですな。ポーン