皇紀2673年(令和5年/基督歴2023年)3月11日、14時46分になりました。
そう、あの日、あの時刻から、干支が一回りして、ちょうど12年が経ちました。
平成23年3月11日14時46分18秒、宮城県の東南東約70海里を震源とするマグニチュード9の超巨大地震が発生。
この地震によって津波が起こり、東北から関東の沿岸部を呑み込んでしまったのです。
津波は、呑み込んだ場所のあらゆるものを海に持ち去ってしまい、全てを破壊しました。
その様子がテレビ中継されるのを、自宅のリビングで見ながら、小生は固まっておりました。
それから5年後、小生は東北の被災地を訪れました。
<平成28年4月2日、宮城県女川町にて 復興工事が進む女川港をバックに>
津波の爪痕が痛々しく残りながらも、雄々しく立ち上がり、復興に向けて突き進む地元の人たちが頑張っている姿を目の当たりにしたのでした。
そしてそれから7年。
地元自治会の副会長兼防災隊長を引き受け、防災大学に1年間通って勉強し、防災士の資格も取り、市消防本部認定の応急手当普及員にもなりました。
防災隊の活動を拡充し、図上訓練などにも着手しました。
色々な装備品も増やしつつあります。
この武漢肺炎のせいで2年間は活動が止まったものの、昨年度の初頭に「防災隊は通常モードに戻す」と決定し、自治会の中でもいち早く、いや、地区全体の中ではブッチギリで早く、通常の活動に戻したのでした。
あの大東亜戦争後では最大の災害から、はや12年。
またいつあんな巨大地震や津波が襲ってこないとも限りません。
常在戦場。
いつでも臨戦態勢。
「治にいて乱を忘れず」
備えましょうぞ。