瀧口喜兵爾の鳴海織部酒呑 | せともん道楽だもんで・・・

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主に東海地方の焼き物産地の瀬戸・美濃の陶芸作家が作った酒器(ぐい吞)を集めています。
作家が作った酒器は、作家の個性と技術が凝縮され、使って良し、飾って良しのコレクションアイテムです。
そんな酒器の魅力を紹介できたらと思っています。

 

美濃桃山陶(志野・織部・黄瀬戸・瀬戸黒)の聖地✨と言われる岐阜県可児市❕

そんな美濃の焼き物の故郷、可児市久々利大萱の地で活動💪されている、

可児市無形文化財「織部」技術保持者 🏆の 瀧口喜兵爾 先生の 「鳴海織部酒呑」 です🍶

 

 

瀧口喜兵爾 (たきぐちきへいじ)先生は1937年(昭和12年)4月13日に東京都🗼浅草に生まれ、

生家は靴製造👞の親方の家に生まれ、就職の際に美術🎨の先生から美濃の故加藤十右衛門を紹介され、

十右衛門先生に弟子入りし、1966年陶芸家として独立します❗

 

この酒器は織部焼の中でも最も手が込んでいると言われる「鳴海織部」の作品🍶で、

鳴海織部焼とは、白い土と鉄分を含む赤い土とを継ぎ🤝合わせて、

織部釉の緑釉と赤土の色対比が魅力✨の織部焼です❕

 

 

この子「鳴海織部酒呑」🍶は、瀧口先生の手元に残っていた最後の酒器作品で、

悪く言えば売れ残って誰の元にも行かず数年間、瀧口先生の元でひとり寂しく残っていた作品です😢💧

この作品🍶は瀧口先生が平成30年(2018年)に開催した最後の個展時に出品された酒器作品の中の一点✨で、

その個展で売れ残り💦、その後自分の元に来るまでの5年間🕐、ずっとひとり寂しく残っていた作品です🥹

もしかしたら、自分の元に来なければ、この子の最後は割られて⚡しまっていたかもしれません…😇💧

現在、瀧口先生は非常に体調がすぐれないようで😰、過酷な窯焚き🔥はもちろん作陶自体もできない程のようです💦

これから先また元気になられ作陶を再開💪されるかもしれませんが、

この酒器が最後の作品🍶、つまり瀧口先生が手掛けた陶芸作品の最晩年の新品未使用作品✨となります😊

 

この子「鳴海織部酒呑」🍶は、瀧口先生が自ら築いた薪の両口窯🔥から生まれた作品で、

見た目は非常に素朴で、鳴海織部としてはかなり大人しい作品です😀

この大人しい雰囲気と、作品の質が瀧口先生がこれまでこの世に送り出した酒器🍶と比べると、

残念ながら最上位作品🥇とは言えず佳作🥈(中の上位)の出来映えです😙

それが他の出品作品と比べて見劣りし💦、売れ残ってしまったのかもしれません…😢💧

…ですが、瀧口先生が個展に出品したと言うことは、先生自身は気に入っていた👌と言うことは確かです❗

先生が気に入っていなければ👌、大事な個展に出品することは、まずありません😉👍

 

瀧口先生は、桃山時代に志野や織部を作った美濃の陶工に習い同じ作り方💪で、

自ら美濃の山々🏔️から探し出した希少な陶土を手回しロクロ🌀で作られています❕

電動ロクロでは作れない、手回しロクロならではのゆっくり回る回転から生まれたやさしい造形です😊

 

 

緑釉の部分には美濃の白い土を使い美しいグリーン🟢を出し、

赤土部分には灰透明釉を掛けてオレンジ色🟠のような色を出しています❗

側面に描かれた模様は、黒は鉄絵具・白は白化粧土を一筆書き🖌️し、剣先で草模様🌾を彫っています😚

 

 

上から見る👀と織部の緑釉が垂れ模様を作っていますね😋❕

ロクロの模様🌀が瀧口先生の指の動きを感じるようです🖐️

織部にしては歪みが少なく作為をおさえた造形が巨匠らしくて良いと思います😁👍

 

 

高台を見ると、瀧口先生の住む可児の大萱から一山⛰️超えた多治見の小名田の木節粘土を使い、

数十年前にゴルフ場🏌️が造成中に自ら手に入れた宝の土💎です❗

手作りの木ヘラを使い迷いなく高台を削り🔪、喜兵爾の「き」の彫り名があります👀

 

 

付属の桐箱の箱書き🖌️は残念ながら喜兵爾先生の奥様の字(代執)となっています❕

それは瀧口先生のお体の状態で筆を持つのも難しかった模様…心配です😰💦

喜兵爾先生と奥様のお二人の気持ちが作品だけで無く、箱にも宿っています🥰

 

👇瀧口喜兵爾先生のこれまで手掛けた素晴らしいお抹茶碗の数々です❗

 

 

鳴海織部茶盌 2001年

 

 

鳴海織部茶盌 2001年

 

 

黒織部茶盌 2002年

 

 

黒織部茶盌 1992年

 

 

喜宝茜茶盌 1992年

 

 

喜宝茜茶盌 1998年

 

 

茜織部茶盌 2014年

 

瀧口喜兵爾先生は師である故加藤十右衛門の家🏡で寝起きを共にし、あんま👐が毎日の日課であったそう👀❕

師の足元に寝て、師の呼吸を聞き、師は何を感じるのか、そして師の言うことを守り技を磨く修行した。

独立後は師と同じ可児市久々利大萱に窯🔥を築き、古(いにしえ)の美濃の陶工に習い、長年の修練を続けてこれらました✊

そして瀧口先生が生み出した紅色の織部茶碗 「喜宝茜(茜織部)」 を作りだしました❗

 

30年程前、織部の窯が大失敗。

失敗した作品を見ていると、白釉が滴に溜まったところが綺麗な紅色に染まっていた。

それから何度も試作を繰り返し喜宝茜を造りだした。

・・・これは伝統の技の上に成り立つものである。

 

 

この 「鳴海織部酒呑」 は5年前に個展で出品✨され、当時華やかに展示🔦されていたものの、

誰の元にもお嫁に行けず、先生の元でひとり寂しい思いをしていました😢💦

それが5年後にまさか自分と何かの縁💫で出逢い、今ボクの元にいます❗

きっとこの子「鳴海織部酒呑」は喜んでいると思います😊👍

誰よりもこの作品の魅力💛と素晴らしさ✨を理解し分かるボクだから、

この子がボクの元にやってきてくれたんだと感じます🥹

瀧口先生は、この作品はいつか必ず名品✨になるとわかっていたのかもしれません…❕

だから残品であったこの酒器を最後まで手元に大事に残していたんだと思います😊👌

 

ボクのぐい吞コレクション🍶、宝物✨がまたひとつ増えました😊✨✨✨

 


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