【瀬戸黒】
桃山時代に現在の岐阜県美濃周辺で焼かれた、
1200度以上に燃える窯から鉄のハサミなどで引き出し、
水につけるなどして急冷し漆黒のやきものを作る技法です。
その名を美濃ではなく愛知・瀬戸とするのは、桃山時代に於いては美濃窯と瀬戸窯とを区別せず、
両者を併せて「瀬戸」と理解していたことによるものだそうです。
別名として、その技法から「引き出し黒」、
天正年間(1573~1593)より焼かれたことから「天正黒」とも呼ばれています。
令和の現在で全国の数多いる陶芸家で、瀬戸黒(引出黒)釉を手掛ける作家の中でも、
他の追随を許さない名実ともに、頂点に君臨する美濃の重鎮が作った瀬戸黒作品・酒器の紹介です❗
その重鎮の名は 美和隆治 (みわりゅうじ)先生です❕
1930年生まれ美濃最長老の美和隆治先生は桃山時代の伝世品の瀬戸黒茶碗や陶片を元に、
桃山時代と同じ様式の半地上式の薪で焚く穴窯を用いて、
瀬戸黒・志野・黄瀬戸・黒織部・美濃伊賀・美濃唐津・・・等を手掛けられています👍
岐阜県土岐市下石町の里山で長年美濃の焼き物を研究し、
本物の瀬戸黒・志野を目指し追求されている昭和5年(1930年)6月3日生まれの陶工、
美和隆治 (みわりゅうじ)先生の最晩年の 「瀬戸黒盃」 です❗
コメントでこの作品の名前を考えて頂いてありがとうございました。←追記
名前は ないてるあかおにのハンカチ2 さんに考えて頂いた 「羽黒蜻蛉 (はぐろとんぼ)」 と名付けました。
この瀬戸黒の酒盃🍶は、美和隆治先生のご自宅に伺って直接頂いた逸品です❗
美和先生は伝製品の瀬戸黒茶碗の名品『小原女』に魅せられ若い頃から研究に打ち込んでおられました。
特に晩年80歳頃から瀬戸黒釉に絞って研究を進め、理想に近いところまで到達されたそうです❕
「瀬戸黒は燃え上がる窯から引き出す独特な技法なので、ひと窯焼いて数点しか取れない」
「ボクは頑固者だから、安易な作品を世にだしたくない。数は少なくても芸術性の高い作品を残したい」
そう熱く語る美和先生が認めた希少で最上級の瀬戸黒の酒器であります✨
この作品は瀬戸黒茶碗の基本造形から外れ、どちらかと言えば志野茶碗のような造形です❗
桃山時代の瀬戸黒茶碗の基本形は地面から真っ直ぐ立ち上がった筒型を基本とし、
こちらは腰が張って、力強い大ぶりな志野茶碗の如くの姿・形をしています❕
側面の艶やかに怪しく光る黒い釉、川の流れの様な釉薬の肌合い、
ただ一色の黒いだけの酒器にこんなにも重厚感とオーラーを放って、
心を一瞬でつかんでくる魅力が美和先生の瀬戸黒作品にはあります😄
上から見ると正円形では無く三角形に近い形をしているのがわかると思います👀
底の見えない深い井戸のように真っ暗で、この中に吸い込まれてしまいそうです。
酒器🍶でありながら瀬戸黒茶碗と同じ作り込みをしているのがよく分かります。
高台部分には釉薬がかけられておらず、パサパサ肌の土の雰囲気がよくわかります👀❗
この白い土は元々希少で現在は手に入れることができない最高級のモグサ土で、
美和先生が自ら美濃の山々で採取したり、40年程前に宅地造成中の土の断層から堀り集めた宝の土です🥰
付属の桐製の共箱もこの作品にふさわしく上質✨で、
側面を凹凸に組んだ高級な組箱を使用し、上フタは中央が膨らんだ盛りフタと言われている高級品を使用。
墨書きの箱書きの字も巨匠で無ければこんな魅力的な字は書けませんよ~😊👏
👆美和先生のボクが愛用している瀬戸黒のお抹茶茶碗で、
形・姿・色・照り・・・すべて名碗にふさわしい茶碗だと思います😁
実際はあまり大きくは無いのですが、見た目に大きく・重たく見えるのは名碗の証であります❗
美和隆治先生から直接お話をし、その一言一言を逃すまいと聞き入りました👀
その話はとても自分の心を揺さぶられるお話で、、、😢💦
「ボクは人間国宝、最低でも岐阜県の無形文化財になれるはずだった・・・」
「ただ・・・私には応援してくれる人がいなかった・・・」
美和先生は偉大な先人の師を持たず独学で研究を重ね、輝かしい公募展で入選を重ねて、
自力で 「美和隆治」 の名前を全国に知らしめました❗
美和隆治先生は昭和の大陶芸家、故荒川豊蔵・故加藤唐九郎時代の次世代の先頭を走って、
加藤唐九郎の晩年の赤や紫色の志野の色を先に作り出したのも美和先生が先と言われているそうです‼️
(加藤唐九郎が美和先生に聞いたのか、盗み聞いたかは不明・・・)
そんな素晴らしい美和先生ですが…残念ながら4年程前に窯を閉じられてしまいました💦
現在92歳になられた年齢だけでなく、薪窯を6昼夜焼き続ける体力、薪などの材料の高騰、
一番の大きな理由は良い作品を作っても買ってくれる人がいないこと・・・😭😭😭
現在は良い作品、本物の作品よりも値段が安くないと買って貰えない。
(一度付けた評価値段を下げることができません)
バブル期や陶芸ブーム期のように買い手がいなければ続けることができません💧
美和先生は自分に「君みたいなボクの作品を認めてくれる人が、100人いてくれればまだ続けられた」
陶芸を一生続けていくことを許さないこの時代に悔しさを感じました😠
美和先生の悔しさと寂しさを心で感じ、先生は最後に自分に、
「今でも君みたいな人がいてくれたことが本当にうれしい・・・ありがとう」と😢💧
この美和隆治先生の 「瀬戸黒盃」 には、
美和先生の美濃の偉大な陶工としての意地と誇りと魂が宿っているんです😊✨✨✨