岸本謙仁の伊賀ぐい呑「まなむすめ」 | せともん道楽だもんで・・・

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主に東海地方の焼き物産地の瀬戸・美濃の陶芸作家が作った酒器(ぐい吞)を集めています。
作家が作った酒器は、作家の個性と技術が凝縮され、使って良し、飾って良しのコレクションアイテムです。
そんな酒器の魅力を紹介できたらと思っています。

 

岐阜県土岐市の愛知瀬戸と岐阜美濃の中間点に位置する三国山麓の山中🗻で、

主に伊賀、青磁、織部を手掛ける1934年(昭和9年)10月名古屋市🐲に生まれ、

岸本謙仁 (きしもとけんにん)先生の 「伊賀ぐい呑」 です。

 

コメントでこの作品の名前を考えて頂いてありがとうございました。←追記

名前は yamamomo1013 さんに考えて頂いた 「まなむすめ」 と名付けました。

 

 

 

岸本謙仁先生の伊賀ぐい呑🍶は、自宅🏡兼陶房・窯のある岐阜県美濃の山中🗻、

岸本先生が自ら考え築いた薪の窯🔥から生まれた炎の芸術品です✨

なぜ・・・?こんな説明をしたかと言うと・・・👀❓

作品名の「伊賀」は三重県の忍者-=≡卍で有名な町、伊賀市の焼き物だからです❕

 

同じ伊賀と名前が付いていても違うもので、岸本先生の伊賀作品は 「謙仁伊賀」 と言われており、

用いる陶土、焼成方法、造形方法などなど、本歌の伊賀焼とは似ていて大きく違う作品となっています❗

 

 

この伊賀ぐい呑🍶は縁あって自分の元にやってきてくれた希少✨な作品で、

岸本先生は最近、年齢(今年の10月で88歳)と病気を理由に窯の火を落としてしまいました😢💧

つまり陶芸家を辞めて💦、自宅も出てしまったそうです💦💦

岸本先生本人に連絡📞を取り、一点だけ手元に伊賀のぐい呑が残っていると言う最後のぐい呑🍶、

そのぐい呑こそが希少✨な最後の一点、この作品であります❗❗

岸本先生👴にお会いすることができませんでしたので、

このぐい呑🍶を某百貨店に送ってもらい、現物を見てその百貨店🏬で購入しました😊👍

 

最晩年🌟新品未使用品で窯を閉じる最後の窯から生まれた岸本先生の作陶50年以上の集大成🏆、

自分の元に嫁入りするために最後まで先生の手元に残っていたと感じてなりません😊✨

そんな幸せな縁✨で自分の元にやってきたぐい呑🍶です✨✨

 

 

このぐい呑はロクロ🌀で筒状に真っ直ぐ立ち上げ、

口元を外に折り曲げてある均整のとれた端正な作品です🍶

この筒型の造形は非常にお酒好きの方に人気の形でもあります👏

 

側面は赤く発色した胴回りや赤松🌲の割木の灰がかかり黄緑色の自然釉が覆って、

赤い部分と自然釉の色彩が偶然の景色✨となっています👀❗

伊賀らしいゴツゴツした土の肌合いが自分は好きなんです😘

 

 

 

上から見ると口元の一部と底にまるで赤いインク💄を付けたような真っ赤な釉薬が塗られています👀❕

この赤い火色🔥に見える赤色は驚くことに岸本先生自身が信楽や伊賀焼に見えるように薄く赤い釉薬を塗り、

1300度の高温🔥で薪の灰を溶かして自然釉を覆わせた、意図的に伊賀風に作り上げた作品だと思います❗❗

 

 

高台部分を見ると、えっ❕この土って・・・磁器土・・・😲❗❓

磁器土風な土に長石や珪石などの半透明💎な砂の粒を混ぜて練り伊賀風な土感を出し、

焼いても🔥焼き色が出にくい磁器土だから薄く赤い釉を塗っている、これが岸本先生が最後に到達した謙仁伊賀なんですねっ❗❗

 

 

付属の桐箱ももちろん上質👏で上蓋が盛り上がっている盛りフタ使用で、

桐の木目🌳もハッキリ現れていて良い箱が付いています😄👌

墨書きの字✎も戦前生まれ岸本先生らしい、古い書物📨のような濃くスピード感があってすばらしいです👏👏

 

岸本謙仁先生は30代👨の頃はもっぱら新進気鋭の若手として高い人気✨があり、

その頃は戦後の美濃桃山陶(志野・黄瀬戸・織部・瀬戸黒)復興に多くの瀬戸・美濃の陶工が挑んでいた💨時代、

岸本先生もしかりで薪窯🔥で志野焼に挑んでおられました💪

その後は志野焼は止めてしまいましたが💦、薪窯で焼く伊賀、ガス窯の青磁、織部等を手掛けられ、

最近まで多くの素晴しい陶芸作品✨を世に送り出してくれました😊

 

窯の火🔥を落としてしまったのは自分のような陶芸ファンにはとても残念ですが💦💦、

88歳🎂になられる、これからが岸本先生の定年後の老後生活の始まり🎁。おつかれさまでした😊🏆

 

岸本謙仁先生の魂🌟が宿る、この「伊賀ぐい呑」との素晴しいご縁✨に感謝です(; ;)ホロホロ

 


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