おむすびの具、好きなのは?
鮭
番外編
おにぎらずの、ツナときゅうり。
本日、1月17日(水)
阪神淡路大震災から23年。
23年前、、、
その頃住んでいた
岩手山の麓のアパートの近くに
パチンコ店があり、
土、日、入り浸っていた夫は、
阪神淡路大震災の数カ月前のある日、
その頃頻繁に揺れても、
雨にも負けず、風にも負けず、
震度5の強い揺れにも負けず?
粘っておりましたとさ。頭おかしいよな
割と新しいアパートの
テレビの上のマスコットの
7人中5人のこびとさんが
ダイブしましたが、他は大丈夫でした。
そして、、その後、大阪に住む方から
地震お見舞いを送りたいとの
ありがたい連絡がありましたが
家は特に被害も受けていなかったので
お気持ちだけいただき、
ご自身の備えにどうぞお使いくださいと
受話機を置きました。
阪神淡路大震災から数年後、
過労と思われるご主人のこと、
なんとも痛ましい文ふみが届きました。
復興を急いで、若いからだを酷使され
身を削られた尊い命。享年37
(合掌)
しばらくして
過労とは無縁のゆる~い我が夫と
盛岡の静かな店で冷麺を食べて
悲しい気持ちを少し和らげました。
心の傷を隠して、長生きして欲しい人たち。
天真爛漫な子どもが、大人になるのは
早いと思うこの頃です。
今日は、異常に多い黒い烏がびっしりと
電線に並んでとまっていた。
食事の時間だったのか。
群れをなさない黒い烏からすが、
意外と目立つことに気がついた。
烏からすの勝手だけど、、
本日、祈りを捧げる日。
辛い季節です。
【スタンプラリー】
昨日の、1月16日(火)は、
亘理わたり伊達家初代
伊達成実しげざね公
御霊屋御開帳日。でした。
2018年、伊達成実しげざね公ご生誕450年。
仙台藩祖、伊達政宗公の従兄弟にして、
武勇に優れ、政宗公と共に、
戦場を駆け抜けた。
天正19年(1591) 片倉景綱公が亘理を治め、
慶長7年(1602) 景綱公は白石に移り、
伊達成実公が亘理領主となる
成実公は、政宗公の右腕として活躍。
政宗公、忠宗公と二代に渡り、
仙台藩主の補佐を務められた。
阿武隈川の氾濫を抑えるべく、
治水、整備や新田開発を行い、
現在の亘理の基礎を築き上げられた。
後世元和偃武げんなえんぶといわれた時代
治者として亘理わたりの地を44年治められ、
仙台藩の重鎮となられた。
伊達成実公、辞世の和歌
古いにしえも稀なる年に九つの
余るも夢のうちにぞありける
政宗公が亡くなられたのは御歳70。
成実公は79歳で生涯を閉じられた。
方一間ほうひとま 宝形造ほうぎょうづくり
正面 2.09㍍
側面 2.09㍍
周囲に廻縁勾欄まわりえんこうらんをめぐらし
正面は桟唐戸さんからと
内部は板敷
屋根は、現在銅板葺ぶき、
露盤宝珠ろばんほうじゅをあげている。
内部の厨子ずしの中には
成実しげざね公木像を安置。
建立時期は、成実しげざね公死後の
正保3年(1646年)と推定される。
成実公の御命日は6月4日。
こちらで手を合わせて、
お焼香をさせていただいたあと、
神戸市垂水区の垂水亀井堂の瓦煎餅を
いただきました。
↑↑成実公の自署花押です。
猛将、成実しげざね公のお姿と
愛馬の絵がとてもすてきです↑↑
家紋入りの瓦煎餅、↓↓
おめざにいただきました。
大変美味しかったです。
↓↓亘理町文化財マップの写真が
亘理伊達家歴代墓所です。
スタンプラリーのスタートです。
霊屋スタンプ。亘理伊達家の家紋の一つ
次のスタンプラリーの場所は、
悠里館ゆうりかんというお城の建物の
1階、亘理町立郷土資料館です。
その前に、称名しょうみょう寺の
国指定天然記念物の樹齢700年のシイノキと
県指定天然記念物の樹齢400年のスギジイを
見て、
ありがたみを全身で感じ、
国道6号線のセブンで食料調達して、
悠里館ゆうりかんへの道を確認しました。
まるで、お城に来たみたいです。
入り口を入って、右手側に
郷土資料館がありました。
雪薄ゆきすすき紋缶バッジをいただきました。
初めて見る家紋です。
昨日は、お天気もよく、
とても厳かな参拝が叶いました。
決して退ひかない毛虫、勝ち虫の前立。
勇武無双の伊達成実しげざね公が眠る霊屋の
次の御開帳日は、8月16日です。
政宗公の伊達者のはなしは、
有名ですが、
成実公もまた、傾いた伊達者だった?
らしいです。
平成23年(2011) 3.11
東日本大震災によって、亘理町は
大きな被害を受けました。
現在、復興から、更に発展を目指して
町づくりが行われています。
では、これにて失礼いたします。
おやすみなさい。