『社会的自殺…ひめゆり学徒隊~私のスピリチュアル14』

カミカゼ特攻隊とか、自分の「本当の」意思に反して死ななければならなかったもの、これは本当に視ていて苦しいです。

若い頃、まだ20代初め、沖縄に旅行に行きました。
私は若かったのですが、スピリチュアル能力は結構登り坂(成長期)だった頃で、しかも「若い」もんだから、感受性と感応してしまい、よく涙流したりしていましたね(笑)

しかし「統合」はまだまだ先のことでしたので(今は統合できている、ほぼ😅)断片的な「不思議な感覚」はスピリチュアルだとわかっていても、どうして良いかわからない、そんなお年頃でした。

ひめゆりの塔に行きました。

近づくと、全体的に紫色の「感じ」を感じ(紫色は癒しの色。ちなみに私のベースオーラは紫です)多くの「癒しの念」、そして彼女らが「すでに癒されている」というイメージが入ってきました。

外からの影響でその命を失ってしまった学生や教員が多かったと思いますが、中には「自決」した乙女たちもいましたね。

壕の入り口に近づいただけで「ダメだ」と思い、涙が溢れました。
誰でも同じかとは思いますが、胸を締め付けられる感じ。
中に入ると、不思議と「離れられない」という感覚がやってきました。

当時はこの程度しかわからなかったです。

今、この記事を書いていて感じるのは、当時の様子。目の前のスクリーンにありありと視えてきます。
薄暗い防空壕の中、沢山の兵隊さんたち、傷ついてうめきわめき、熱帯のような湿度の高い重い空気、すえた匂い…
時々匂う、外からの焦げ臭さ。
みんな、外からの「音」に常に敏感になっている様子。

でも。
不謹慎と思われたならごめんなさい。
盛んに「これを学ぶためにきた」というのが入ってきます。
戦争は、誰かが「仕組んだもの」であり、あってはならないことです。
本来の地球においては「ない」ものです。なかったものです。
私は革命家の過去世を記憶しているのでわかるのですが、私も革命家として「落下して死んだ」のですね。戦いの最中に。
まぁ、こういう「人と人の争いごと」は本来「ない」のですが、設定されて、そこで死ぬことも「決めて」きている魂ってあるんですよね。

あ、気分を害した方はごめんなさい。
でも、絡まないで下さい。お願いします。私にはその絡みに「これ↑」以外に言うことはないので。

こんな「社会的自殺」は、かなり大きな、そして崇高な、魂的には「飛び級」レベルのものがほとんどですが、そう感じれば感じるほど、やはり戦争を「設定した側」のことが許せない気持ちは強くなりますね。

これを書いていて、何とも「書ききれないこと」が多いので困っている私が今いるのですが、個々の魂たちは「すでに癒されている」のだけはわかります、はっきりと。

時代、文化、場所、色々なことが絡みあって1つの「人生」がそこにあるわけだけれども、少なくとも今現在「自分の人生を自分で作ることができる人」はそこにテーマがあるわけです。
彼女らみたいに、作り上げることができなかった人たちにもテーマがあったわけだけれども、私たちにも違ったテーマがある。

そのことに気付き、それを体現する。。。
これこそがスピリチュアリズム、つまり「今をどう生きるか」、ここなんですよ。

オーラが視えるとか、死者と話せるとか、過去世が視えるとか、そんなことは表面的なことでね。
そこではないの。
そこははっきり言ってどうでもいい。

今をどう生きるか
あなたはどう生きたいのか

ここなんですよ、本当のスピリチュアリズムとは。