サンデー毎日2017年10月1日号p.115 田中章義(歌人)の「歌鏡」から抜粋:
石井は1865年(慶応元年)現在の宮崎に生まれた。岡山で医学生だった22歳のとき8歳の少年を預かった。1889年には20人になった。医者を目指していた彼はこの年、ついに医学の道を断念し
子どもたちのために働くことにした。
名君と名高い秋月種茂が創設した高鍋藩の藩校明倫館。十次は6歳から ここで学び、他者のために尽力する母の背中を見て育った。理解者からの寄付を集め、施設の土台を築いた。大原孫三郎も十次を支えた一人だった。1894年ころからは拠点を岡山から宮崎へ移し、茶の栽培などをいながら、自立の道を模索した。
やがて施設内に小中学校をつくり、職業訓練も受けられるようにした。委託制度(里子)を試行した。宮崎にある石井十次資料館では十次たちが開拓した地で育った茶を購入することもできる。