ブランデンブルク州 Schoenowに 妊娠した女性や 出産した
直後の もはやなすすべを知らない母親のための「ひまわり
子どもの家」がある。数百人の子どもが ここから
人生を始めた。もしかして生きていなかった子どもたちだ。

この家に来る女性はインターネットで この家の住所を知る。
どこで産むか、生まれた子どもを どうしたらいいか
分からなくなった女性が 子どもを殺したり 捨てたり
する前に ここに最後に保護を求めてくる。

1998年までは 非嫡出子を殺しても 嫡出子を殺した
場合と比べ、刑罰は軽かった。しかし今では非嫡出子
を生んでも、たいへん若く母親になっても、女性は
恥じなくていい。助けてくれる場所は多い。けれども 
なおドイツ全国で 殺された赤ちゃんが見つかる。
専門家によると見つけられない 赤ちゃん殺しは多い。

マーラは妊娠6ヶ月になった。胎児の父親は堕胎しろという。
医者にかかっていない。胎児の父は上司なので 
医師から会社へ通報されたら困る。
インターネットで解決策が見つからないかと 幾晩も
パソコンの前に座っていた。マーラは30歳代の終わりで、
課長で、いい教育を受けていて、魅力的な人だ。
出産の直前に1年間の休暇に入った。社宅の居間で
産んだ。自分でへその緒を切り、産湯も自分で用意した。
3日目の夜 車でハノーファからブランデンブルク州の
「ひまわり子どもの家」に向かった。(一つの州を越えて
走るので200キロ以上ある?)
不安と絶望感でいっぱいだった。なぜ彼女は援助を
求めなかったのか? それは彼女の成育歴にかかわる。
父親は母や子どもを さんざん殴った。児童相談所も
教師も警察も それを知っていながら 誰も助けては
くれなかった。だから出産にも 助けを求めなかった。

モ-ニカはフランシスコ会修道女で18年前にベルリンに出て 
ホームレスのためのスープ提供所を作った。1999年に
シスター・モーニカは「ひまわり子どもの家」を始めた。
3階建て、6室あり別館に客人用の部屋や集会所
がある。
来た人は泊まれる。営業時間は 常時。ベッドと食事
はある。医療と心理的な手当てもある。
質問はしない。非難しない。警察は呼ばない。名前も
言わなくていい。不法滞在の人であっても通報しない。
産んだ子を育てられないなら養子縁組に出せる。

この家に来る たいていの女性は望まなかった妊娠を 
長い間 意識から排除してきた。
周りの人も妊娠に気づかないこともある。
女の子が狭いアパートで母親と二人で暮らしていて、
ダブルベッドで一緒に寝ていても 母親は娘の妊娠に
気づかないという例もある。
ある日 少女は「学校の旅行に行く」と言って、
シスター・モーニカのところへ来る。子どもを産んで 数日 
休養し、家に帰る。「学校の旅行は楽しかった?」
と母親は尋ねる。

ある女性がSchoenowにある「ひまわり子どもの家」に来て
何も言わずメモを差し出した:「ここで匿名で出産できる
でしょうか。出産できるなら ここに居て、できないなら 
どこかへ行きます」。
彼女はこの家に協力している病院で出産し、2-3日
入院し、子どもは置いて行った。
たいていの女性は家にも、夫にも、村にもしらせないで
と言う。多くの女性は赤ちゃんを養子縁組に出す
ことについて納得してくれる。ここで助言を受け、
子どもの個人データを預けて去る。母親が誰か、
なぜ母親は去ったのかが分からないと 子どもは
苦しむを思うから、子どもが大きくなってから読むよう
にと手紙を残していく。

たいていの女性は暗い時に来る。アンナもそうだった。
白ロシア出身で、編み針で堕胎しようとした。父親が
ヒモにアンナを売り、彼女は6カ国を渡ってきた。
この家に来て 赤ちゃんを手放さないことにして、
子どもを連れて白ロシアの父のもとに帰った。
シエラレオネの女性はホームレスで、金も何の書類も無く、
婚約したドイツ人の男に捨てられた。その後、ひまわり
の家との連絡も途絶えた。強制送還されたのだろう。

「ひまわり子どもの家」に反対する人は多い。匿名の
出産は禁止されているからだ。
匿名の出産は 子殺しを防止するのでなく、捨て子を
するという安易な考えを助長するという反対意見もある。
そのほかに 子どもの素性(すじょう)を知ることについて 
父親の権利と子どもの権利が 損なわれるという
反対意見もある。
しかしシスター・モーニカは淡々と答える:「これは理想的な
方法ではない。世の中に白と黒だけが あるわけでない。
灰色の領域の援助者としてやっているのだ。私たちは
今の制度に代わるものではない。ただ補っているだけだ。
両親が誰だか知っている方が 子どもにとって良いし、
両親のもとで 育てられた方がいい。しかし生きると
いうことは そうでない こともある。」

絶望すると人は 他人の営業時間など念頭になくなる。
この家の電話は夜中も夜明けにも クリスマスにも 
夏休みにも 鳴る。
ひまわりの家に 少しだけれど援助者はいる。無料で
母子を診療してくれる医師もいる。寄付してくれる人が
いる。この家に来た女性を 匿名で出産させてくれる
病院もある。
1999年からモーニカとそのチームは 400人の母子を
世話してきた。
うまくいかない場合もある。雪の積もり始めた頃に
少女が電話してきて、モーニカは迎えに行き 彼女を
直ぐに病院に入れた。ひまわりの家で彼女は
気をとりなおし、友人も来て、「みんな手伝うからね」と
言ってくれ、彼女は子どもを手放さないで済んだ。しかし
今 彼女は刑務所にいる。いくつもの役所の世話に
なっていたのだが、孤立感に苛まれ、おかしくなって、
役所も友人も離れていった。そして子どもを殴り殺した。
彼女は刑務所からモーニカに時々 手紙を書いてくる。

2-3週間まえにも一台の車が ひまわりの家の前に
止まり、管理人に赤ちゃんを手渡した。その日の朝に
生まれた子だった。管理人は彼女の名前や 思い出す
手がかりになる品はないかと 尋ねたが 彼女は 
ただ泣くばかりで、何も言わずに去った。この赤ちゃんは 
児童相談所に保護されている。
下記サイトから:
http://www.stern.de/panorama/:Kinderhaus-Sonnenblume-Erste-Zuflucht/647987.html

◎この施設のホームページは下記です。自動翻訳ソフトを
使ってみてください。変な日本語がでてきますが
ないよりましです。
www.kinderhaus-sonnnenblume.de

★ ブログ管理人の意見:
この記事には 養子縁組のことを言っていて、里親に
預けることは言ってませんが、ドイツでも 養子と里子は 
よく混同されるから この家から里子にでる子もあると思う。
この家から 施設へ直行するという記述が ないのは
救いです。
このカキコミは 別のブログのを 貼り付けました。管理人が
同じなので 盗作でないです。