日本経済新聞 2010年7月30日夕刊 プロムナードと言う囲みもの から 談四楼師匠の許可無く抜粋。
 
落語会のほとんどは真打ちと前座で構成されるから、あぶれた二つ目は仕事を探す。たどり着いたのは結婚披露宴の司会で、この分野には需要があった。

そんな折、ある披露宴の司会を務めた。新郎は両親を早くに亡くした施設出身の青年だった。打ち合わせの時から、新郎が好青年であることは分かった。
 上司をはじめとする誰もが彼の仕事ぶりと性格を褒め、新婦の両親が喜んでいることが何よりこの披露宴を物語っていた。
 宴もたけなわとなり、1人の青年をスピーチにと紹介した。新郎と同じ施設に育った彼は、友人代表として登場したのだ。満面の笑顔でマイクの前に立ったのだが、彼はなぜか沈黙した。
言うべきことを忘れたか、上がっているのかと思ったが、そうではなかった。「お、お、おめ・・・」そう言うと、絶句したのだ。そして嗚咽だけが会場に響いた。彼は万感胸に迫り、おめでとうと言おうとして果たせなかったのだった。
 立ち往生する彼をフオローすべくマイクを持ったが、新郎の行動の方が早かった。新郎は壇を降りると彼に握手を求めたのだ。やがて握手は強い抱擁となり、ただただ2人は互いの背中をたたき合っていた。
 当の2人はもちろん、会場の誰もが泣いていた。そして青年は割れるような拍手の中、自席に引き揚げた。

負けたと思った。私はそれまでよどみなく喋ることがプロだと思っていた。だからわずかに生じる間すら恐れ、それを冗舌で埋めてきた。しかるに1人の同世代の青年の前に敗れ去ったのだ。
彼は一言も喋らずして、そこにいる全員を感動させたのだ。私が話芸というものを深く考えた最初だったかもしれない。

★ブログ管理人の蛇足:
新郎は 生後何年かは 親御さんのもとで 生活できて 家庭で虐待も うけていなかったのだろうと推測いたします。
友人代表の方は 何歳で乳児院あるいは 児童養護施設に入られたか 書かれていません。
万感胸に迫り何にも 言えなかったということは 施設で過ごした方々が 祝福される結婚式をあげられる 見込みが極めて少ない ということだと思いました。
うちに長年いた子も わずか数カ月で措置解除になって うちから離れた子も おそらく こういう結婚式とは 無縁でなかろうか。

乳児院や児童養護施設の理事先生方は 無償で経営してやって、寄付まで してやっていると 公言するのは 止めてほしい。
施設の出身者が あとあとナンギしていることを 理事は 心に留め 自分の無力を思いながら 運営されることを 願ってやまない。