本ブログの第162話で、「モンゴロイドはCOVIDー19に強いのではないか?」という仮説を述べた。自然淘汰により、そのような遺伝的形質を獲得したのではないか?…という仮説だ。むろん真偽は疑わしい。だがネットで発表されたデータに見る限り…アジア人の大半を占めるモンゴロイドの致死率は、ヨーロッパ人に対して明らかに低いのだ。

 なお私はこれ以降はCOVIDー19の名称を使わず(新型云々とも言わず)、ブカンウイルスと呼ぶ。ブカンは武漢に由来するが、このネーミングは蔑視ではない。エピデミックが中華人民共和国:武漢市でスタートしたことは、歴史上の事実だ。そして武漢の市民は犠牲を出しつつも、ウイルスとの闘いに勝利した(ようである)。そのことに敬意を表してだ。 

 さて、そのブカンウイルス。慶応大学病院:研修医のクラスター発生原因を暴いた週刊文春(2020年4月2日号)は、同じ号に面白い記事を載せている。それは、「BCGをワクチンを定期接種している国は、していない国に対して感染者数や死亡者数が少ない」という記事だ。査読前の論文のサイトに、3月24日に発表されたものだという。そして、「あくまで疫学的に導き出された仮説ですが、各国の研究機関がBCGワクチンによる新型コロナウイルス感染症抑制について研究開始を表明しています」と解説している。

 例えばスペインのブカンウイルスによる死者は(4月6日時点で)13100人だが、隣国のポルトガルでは約200人に抑えられている。前者は義務接種がだいぶ前に廃止されたが、後者は今も続行されている。総人口比はスペインがポルトガルの約4倍だが、死者数比は約66倍なのである。どちらも最近移民が増えているが、モンゴロイド比に大差は無いだろう。

 而してモンゴロイドが大半を占めるアジア地域では、義務接種国が多いという。その一つである韓国のでは、死者数増加が止まった。日本も同様であると(行政とテレビのキャンペーンに逆らって)、文春は主張する。なお中国については、言及が無い。

 ところでBCGとは何か。それはウシ型結核細菌を弱毒化した生ワクチンだ。丸山ワクチンはヒト型結核細菌の多糖成分:リポアラビノマニナンを精製抽出したものだが、それと同様にヒトには結核を発症させない。天然痘やインフルエンザもそうだが、ヒト結核は"家畜から貰った死の贈り物"なのだ。そしてヒトに移行した後、ウイルスは型が変わって"種分化"した。

 その家畜はインフルエンザでは豚で、結核と天然痘では牛だ。いずれもジャレド・ダイアモンドが、「銃・病原菌・鉄」(1997)で披瀝している学説である。

 羊から牛に移行し、更にヒトに転移したのがBSE(狂牛病)だ。ただその病原体は異常タンパク質であり、DNAもRNAも有しない。あれは極めて"fantastic"な病原体だ。

 よく知らぬ人は、福岡伸一の「プリオン説はほんとうか」(2005)を読むとよい。福岡は「BSEの病原体はプリオンである」という定説を疑い、隠された未知のウイルスの存在を探し求めた。だが失敗した。その挫折感により、京大から青山学院大学に移ったのじゃないかと思う。

 ま、それはさておき(ブカンウイルスのことに話を戻します)…BCG効果は疫学仮説とはいえ、原理(の仮説)も少しは述べねば科学にならない。その仮説は、「BCGワクチンによって白血球の単球が免疫強化を促すようにプログラミングされ、結核細菌だけでなくウイルスなどに対しても働くようになる」というものだ。

 免疫学の世界的権威である山中伸弥は、この説に懐疑的だ。己のサイトで「科学的な証拠は今のところありません」と述べている。でも無視はしていない。流石の"科学的態度"だな。

 ちなみにブカンウイルスにより重症化するリスクが高い70歳以上は、日本でBCG接種が義務化される前の世代だ。その世代の者の接種希望者が(この報道が出た以降)増加しているという。だが氏家無限(国立国際医療研究センター病院医師)は、「いまだその真偽が科学的に確認されたものではなく、現時点では否定も肯定も、もちろん推奨もされない」と述べている。接種済みの者が再びBCGワクチンを打つと、強い副反応が出ることもあるらしい。そして更に、以下のように言う。
 


「たしかに接種していない人は多いかも知れませんが、結核は国民病と言われたほどの病気。感作している、つまり発症していなくてもかかっていた人が半数以上と考えられ、免疫があるはず。従って同じように副反応の心配はあります」
 


 なるほど。BCG効果は疫学的に興味ある仮説ではあるが、それと実践は区別すべきだな。私的には「いまさら…」と思える。「往生際が悪い」とも。私は最近"老荘思想"に嵌まっているのだ。それは、キリスト教プロテスタントの"予定説"にも通じる。

 週刊文春の同じ号には、「コロナ感染力:知っておくべき10・潜伏期間と無症状の違い / 満員電車の危険度」の記事もある。暗にだが、「行政(ならびに官僚)が発した緊急事態宣言は誤り」の主張が読み取れる。この件は、"知識人と政治家の対決"の様相を帯びて来た。

 むろん医師も知識人である。文春はこの記事を作成するにあたり、4人の医師から取材している。森澤雄司(自治医科大学附属病院)、奥野良信(大阪健康安全基盤研究所)、奥谷健准(杏林大学医学部附属病院)、大谷義夫(池袋大谷クリニック)の4人だ。以下の引用は、誰からの取材であるかを区別せずに行う。

 この記事の発端は、アールノートなる指標の解説である。それは"基本再生産数"のことであり、「一人の感染者がうつす人数の目安」を意味する。その値 が最高値に近いのは麻疹で12~18、SARSは2~4、季節性インフルエンザは1~2であるという。

ブカンウイルスは2~3で、今のところ(顕著な変異が起きてない段階では)「インフルエンザと同程度か少し強いくらい」だ。致死率については文春は言及していないが、やはり「インフルエンザとほぼ同じ」だろう。ただそれとは違い、"オールドエイジ・クレンジング"効果が顕著なのである。

 ブカンウイルスのアールノートは、状況によっては値が跳ね上がる。ダイヤモンド・プリンセス号の発生初期時の値は、14.8であったと報告されている。その理由について文春は言明してないが、私は「飛沫感染のリスクばかりに気を取られて、接触感染対策を疎かにした」故じゃないかと思う。

 そのことは大坪寛子が逐一観察していて、途中から気づいた筈だ。今は立場上なにも言えないが、「官」を離れたら全ててを明らかにするだろう。そのことを期待する。

 次は、「空気感染はしない」のこと。少なくともその事例は確認されていない。だから、対人接触が無い環境でマスクを着けるのはさほど意味が無い。むしろそれは「狼と少年」になりかねないと、私は危惧する。

 ただ文春は、「空気感染しないインフルエンザでも、密閉された空間内で、湿度が20パーセント以下になり、換気がない状況だと、空気感染に近いことが起きるというデータが存在します」という医師の言を紹介している。ライブハウスでのクラスターがそれではないかと、解釈されている。私は「そうだろうか?」と疑う。ライブハウスでは、人と人の濃厚接触がありうるからだ。私は、医師の言を全ては信じない。とりあえず"尊重"はするが、基本的に自分の頭で考える。

 次はエアロゾル感染の可能性。エアロゾルとは空気中を浮遊する5μm以下の微粒子だ。それによる感染は、「医療現場の専門的な措置といった特殊な条件下で発生。新型コロナの主な感染経路としては認められていない」とのことだ。ただ先月アメリカで発表された論文によれば、「新型コロナウイルスは、空気中を浮遊するエアロゾルの状態で3時間以上、生きていることが分かつた」という。念のために、換気は十分に行うことですね。

 満員電車内でのクラスターは、確認されていない。現在状況で"飛沫が飛ぶような大声で会話する馬鹿"はまずいないし、窓を開けての換気も行われているからだ。見知らぬ者に(その意に反して)濃厚接触をすれば、豚箱行きである。ただ文春は、"吊革や手摺りにリスクあり"と指摘する。「人→物→人」の接触感染ですね。でもダイヤモンド・プリンセス号の場合と異なり、その確率は大ではないだろう。ちなみにダイヤモンド・プリンセス号では、トイレがかなり主要が感染ルートになったのではと私は疑っている。これも接触感染だ。「人→排泄物→物→人」のである。

 ウイルス粒子(0.1μm)の何個で感染が起こるかの閾値は、はっきりしていないようだ。「個々の免疫力による部分が大きいといえる」という、曖昧表現に留めている。放射線被曝の害のことでもそうだが、閾値を定めるのは非常に難しいのだ。

 つまり"個体差"が大なのだが、そのことは治癒過程についても言える。PCR検査の際、「人によっては(ウイルスが)なかなか消えない」という。「インフルエンザウイルスなら一週間もかからず検出されなくなるが、新型コロナウイルスは症状が収まっても何週間も検出されることがある」…とのことだ。「いったん退院した患者が再度、陽性になるケースがあるのも、再感染ではなく体内に残っていたウイルスによる再発ではないかと指摘されている」という。

 面白いですねえ。「オールドエイジ・クレンジング現象」や「女性は(相対的に)死ににくい」こと、並びに「モンゴロイド強し」のことでもある。これまで見たことが無いタイプのウイルスだ。いま世界中のウイルス学者は、"夢中になっている"筈である。

 文春は更に、3つのテーマについて(医師の協力のもとに)自問自答している。まずは「潜伏期間はどれくらいか?」。

 WHOによれば1~14日で、極めて幅がある。麻疹は10~12日で、インフルエンザは1~2日だ。ブカンウイルスの幅の広さは、前代未聞のようである。

 次は「潜伏期間と無症状の違いは?」。

 

感染した状態にあるという点で、潜伏期は無症状と同じといえる。ついに症状が出ないままの人も存在するので、潜伏期間とは"後に発症して初めて成立する"ことになる。
 
 
 あ、そうか、なるほど。確かにそうだな。ちなみに文春は、「無症状から重症化して命を落とすケースまで、病態の幅が広いのが新型コロナの恐ろしいところ」と付言している。

 そして「無症状の人からも感染するか?」。
 

WHOの研究では、感染経路は主に発熱や咳などの症状が出た者からで、無症状の者からの感染例は少ないとされる。ウイルスの発生量が最も多いのは発症から最初の3日間だという。
 

 あくまでも「少ない」である。用心するに越したことないとは、言える。だから無症状の者でもマスクを着けるのは、「義務化する必要はないが、好ましいこと」だろう。私も、状況によっては装着する。己が感染"する"ことを恐れてではなく、他人に感染"させる"ことを恐れてだ。

 ダイヤモンド・プリンセス号における"興味ある事実"も紹介されている。以下がそれだ。
 

ダイヤモンド・プリンセス号のPCR検査陽性者は712人。うち無症状病原体保有者数は331人で、半数近くは症状が出なかったことになる。
 
 
 これはつまり、"政府ならびに厚労省のPCR検査不拡充方針は正しい"ことを意味しないか?。無闇の検査拡充は、"保安処分"の考えに通じる。あるいは「ミハン」ね。沢村一樹・本田翼主演のTVドラマに登場する秘密警察組織のことです。でも岡田晴恵がしきりとキャンペーンしているようなので、"保安処分"が施行されるかもしれないな。緊急事態宣言が発令されたことだし。

 第162話で述べたことだが、政府が出した緊急事態宣言には強制力は無い。けれどもこの国の人々は、"自己規制"がお得意なのである。感染者発生状況が東京とは全く違う地方自治体も、右へ習えの緊急事態宣言を出し始めた。そして経済の崩壊は既に始まっている。休校が延長されて暇を持て余した学生が部屋に籠もり、"夜中までゲームに狂って奇声を上げている"という話も聞いた。経済のみならず、文化も壊れ始めたのだ。

 ブカンウイルスの怖さは、実はインフルエンザウイルスウイルスとさほど変わらない。感染力も致死性も、大差が無いのだ。オールドエイジ・クレンジングや、「モンゴロイド強し」等の奇妙な特性は有るけれども。だから現況は過剰反応である…という私の言論は、殆ど顧みられない。あ、いや、どのみち私の言うことなんか、初めから誰も聞いてくれないのですがね(苦笑)。

 このブログに対する知り合いよりの反応も、極めて僅かだ。ただ昨日は、珍しくメールにて意見が寄せられた。その内容は、「岡田晴恵様を批判するのは許し難い」というものだった。

 私は大きくのけぞった。第161話での私の論の主眼は、後半の"結界"にある。前半の岡田云々は週刊文春の尻馬に乗っただけであり、私の力点は置かれていない。なのにこの人…Mは、それ"のみ"に反応した。

 テレビの影響力は怖ろしいですね。それと「"性の魅力"恐るべし」だ。岡田某がもし男だったら、Mが私のブログに"過剰反応する"ことは無かっただろう。

 でもま、売られた喧嘩は買わにゃなるまい。ただこういうことは、メールでパーソナルに議論すると収拾がつかなくなる。で、「各々が公の電子媒体で発言し、公開討論をしましょう」と提案した。Mもそれを了承した。で、私より以下に反論する。

 まずMは、「週刊文春の言うことなんか真に受けやがって」という言い方をした。「前川喜平氏を陥れようとした雑誌だろ!」という論調でである。でもそれは誤解だ。前川氏の"出会い系バー通い"を報道したのは、読売新聞である。週刊文春は後追い取材をして、前川氏を庇ったのだ。バーの女子達から、「あの人は、読売新聞が勘ぐるような人じゃないです」という声を集めてである。私の記憶では…文春(殊に週刊誌の方)が"反・現政権"の立場を明確にしたのは、あの事が契機だったのじゃないかと思う。おそらく菅義偉の指示であろうが、真に汚い謀略であった。

 Mはおそらく、"岡田晴恵が政府批判をしている"故に彼女を支持しているのだろう。彼も"反・現政権"の人だ。だが私は、PCR検査不拡充については「政府(ないしは厚労省)が正しい」と思うのだ。その理由は何度も述べたので、繰り返さない。物事の正邪の判断は、ケースバイケースですべきである。

 前川氏のスキャンダル疑惑と違い、岡田晴恵の"OBOKATA"(データ捏造)疑惑は真だと思う。なにせ、感染研の元所長の弾劾文書もあるのだ。そして岡田の"OBOKATA"疑惑が真なら、彼女は科学者を名乗る資格が無い。それを名乗りつつテレビでコメンテーターを務めるのは、詐欺行為である。

 ま、それはさておき…以下は私事。最後に「私はこれからどう生きるか」を考える。己の"此の世に残された時間の少なさ"を、自覚しつつだ。

 と、景気の悪いことを言いつつも…最近私は、何かと楽しませて貰ってます。斯様な体験は、2011年3月の福島原発事故以来だな。あの時は、それまでよくは知らなかった放射線の物理学ならびに生物学を勉強して、実に楽しかった。此度は、既にかなり知っているウイルス学を再独学している。己がリケボ(理系坊や)であることを、改めて認識した次第である。

 福島原発事故の後は、"実践"もした。事故後1年を経過した後にだが、何度も福島に入って「蝉の放射線被曝状況」を調査した。そして、非常に興味ある知見を得ることが出来た。此度は未だ能書きを垂れているだけだが、「何か自分に出来ることはないか?」と思う。

 ワクチン製造や抗ウイルス剤の開発には、私の出る幕は無い。興味はありますけど、その分野は世界の最先端の科学者が群雄割拠している。だがウイルス生態学は"未ださほど"の分野であり、それには我々動物生態学者の"出る幕あり"と思う。何とかして、多少とも貢献出来ないものかと思案する。

 本場の中国におけるウイルス生態学研究は、かの国のウイルス学者が(動物生態学者と協力して)粛々と行うだろう。だが日本におけるウイルスと動態は、それとは異なる可能性がある。遅くとも年内には感染が収縮し、人々はブカンウイルスへの関心を失うだろう。もし私の出番があるとしたら、その後だ。ただ私はPCRの技術を持たないから、誰かが"呼んで"くれなければどうにもならぬが。

 インフルエンザウイルスは感染が収縮した後も豚に戻らず、ヒトの個体群内に潜んで次の機会を窺っている。結核細菌もそうだ。だがブカンウイルスは未だ歴史が新しい。ヒト世界から駆逐された後(完全には駆逐されないだろうけど)、何かの野生動物を見つけて、それにも「潜む」可能性があると思う。その動物は何か?。コウモリの何かの種か、それとも蛇か…あるいはハクビシンかアライグマか。シベリアイタチかニホンイタチが宿主になる可能性も無くはないと思う。

 いずれにせよ、そのアニマルを根絶するのは不可能だ。そして、そのようなことは考えるべきではない。危険なウイルスとも、共生を心掛けるべきだ。それをすればそのうちに、あちらから"歩み寄って"来る筈である。

 先日ASWATに、「うちの建物の隙間で、イタチ(たぶんシベリア)が死んでいる。要りませんか?」という問い合わせがあった。最近私は、生きたイタチしか研究対象にしていない。だから丁重にお断りした。実は現在状況では、死体が欲しくないでもない。ブカンウイルスの有無に関心があるからだ。だが私は、PCRを使いこなせない。だから断らざるを得なかったのである。
 

 

【このブログの筆者、渡辺茂樹が顧問を務めるアスワットのHP】

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