亀谷了の著作「寄生虫館物語」(1994)の中に、興味ある記述がある。それは以下のようなものだ。

 

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 余談ではあるが、それから何度か、寄生虫館へ陛下のお使いがこられたことがある。ボルネオから魚が送られてきたのだが、変な魚だから調べてくれとか、皇居にイタチがいるのだが寄生虫感染のおそれはないか教えて欲しいというような質問をいくつかいただいたのである。
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 陛下というのは厳密に言えば殿下だろう。現在の明仁上皇は、当時(1969)は皇太子だったからだ。そのころ亀谷はシーラカンスの寄生虫を調べていた。魚類学者である当時の明仁皇太子(以後明仁氏と記)はそのことに興味を持ち、それで二人は「知り合った」ようである。

魚と寄生虫のことはさておきで…私の目を引いたのは、「皇居にイタチがいる」という一文である。「それ、本当のことなのか?」と思った。

 

 都市動物であるシベリアイタチは関東には分布せず、ニホンイタチはそれとは逆に都市を嫌う。皇居のある千代田区で、ニホンイタチの棲息は確認されていない。ただ 皇居は緑豊かなエリアだ。其処のみにニホンイタチの隔離個体群が存在するのだろうか?。

 

 いやしかし、それにしては皇居は狭すぎる。庶民が立ち入れないサンクチュリアareaは115haしかない。私の仮説では、ニホンイタチが個体群を維持するためには500ha程が必要で、曲げて割り引いても200haは要ると思う。東御苑と外苑を合わせると230ha程になるが、このareaは(見たことがあるが)ニホンイタチは棲み得ない。赤坂離宮は51haあるが、これは皇居と隣接していない。蛇足を言えば、京都御所は65haだ。

 

 たまたま何かの理由で、ニホンイタチないしはシベリアイタチが皇居に迷い込んだか?。いやしかし、それなら明仁氏は「いる」とは言わないだろう。「見た」とは違い、その言い方は定住を意味する語だからだ。科学者である明仁氏が、その言葉使いを間違えるとは思えない。

 

 此処まで考えて私は、「"イタチが…"という言は、明仁氏自身のことばではないのではないか?」と気づいた。誰とは分からぬお使いの者が、独断で己の疑念を亀谷にぶつけたのではないか?。だとしたら、その者が勘違いした「皇居にいる哺乳類」は何なのか?。

 

 アカネズミも東京都心にはいない哺乳類だ。だが面積17haの目黒自然教育園では、比較的最近まで個体群が存続していたという。皇居の面積は自然教育園の7倍弱あるので、アカネズミの個体群存続には十分だ。ただアカネズミは夜行性でかつ小さいので、かなり動物学の知識がある者でなければ存在が認め難い。明仁氏の名を騙った(のじゃないかと思う)お使いの者では、無理だろう。

 

 …と、此処まで考えて、「私はニホンリスではないか?」と思い至った。リスとイタチは(分類と生態は)かなり異質のアニマルだが、時に錯覚される。どちらも胴長短足で、ロコモーションが俊敏だからだ。ただイタチは、リスほど木登りが巧みではないが。

 

 1970年代末~80年代初に私は京都大学鞍馬寮(街のど真ん中)に居住していたのだが、そのとき寮生の一人が「近くでリスを見た」と言ったことがある。「こんな所にニホンリスがいる訳はないだろう」と私は思い、よく聞いてみるとそれは「どう考えてもシベリアイタチ」だった。シベリアイタチは、西日本ではアーバンの動物である。

 

 で、私は、皇居にニホンリスの個体群が存続しうる可能性を考えた。そもそも個体群が存続しうる(最小限の)面積は、個体間の排他性と餌資源量で決まるだろう。ニホンリスは(イタチ同様に)基本的にsolitaryだが、排他性はそれほど強くないかもしれぬ。そしてリスは(イタチと違って)基本的に植物食だ。植生にもよるが、面積あたりの資源量はより豊富ではないか?。皇居の植生はよく知らないが…ニホンリスの主食である堅果(いわゆるドングリ)を持っ広葉樹や、松毬(の鱗片奥)に種子を秘めるアカマツが豊富の可能性がある。ならば115haのエリア内に、ニホンリスの個体群が存在する可能性はゼロではないだろう。

 

 いやしかし…リスを見た(動物学に詳しくない)者が、「寄生虫の心配」をするだろうか?。それは、Carnivoraを見た者が抱く(ことが多い)発想ではないか?。で、もやもやの気分が残った。ちなみにリスはRodentia(齧歯目)で、イタチはCarnivora(食肉目)である。

 

 21世紀に至り、この件に関する私のもやもや気分は解消した。皇居内に、タヌキの個体群が存在すると知ったからである。古の「お使いの者」は、タヌキとイタチの区別が付かなかったのだろう。明仁天皇(当時)と共著でタヌキの論文を出した宮内庁職員(当時)の酒向貴子は哺乳類の専門家だが、1969年には未だ生まれていなかった(のじゃないかと思う)。

 

 ちなみに皇居は旧江戸城である。徳川本家:征夷大将軍の時代には、さほど緑豊かではなかったらしい。今のようになったのは、昭和天皇:裕仁氏の造園趣味によるものと(最近に)知った。そのとき裕仁氏がわざわざタヌキを移入したとは思えないから、当時の東京は市中にタヌキがいたのでしょうね。今もタヌキは東京市中にいるのだが、それは皇居から流出したものではないだろう。むしろ「話は逆」と思われる。江戸城の時代には濠の中に居なかったタヌキが、昭和の時代に分布拡大したのではあるまいか。

 

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