急に思い立って「小豆島に行くことになり、その面積を調べてみた。約15330haだ。淡路島の4分の1弱である。淡路島は琵琶湖よりも僅かに小さく、そして琵琶湖は小豆島の約4.4倍である。ASWAT本社のある兵庫県西宮市の面積約1万haに比べると、小豆島はその1.5倍に相当する。

  何故面積が気になったかというと…「イタチにはどれだけの土地が必要か?」(個体群を維持するのに必要な最小限面積)に、私は関心があるからだ。ニホンイタチ、シベリアイタチ各々単独においてと、2種が共存した場合にである。

   むろん棲息可能の如何は、土地の量(面積)だけでは決まらない。質…即ち植生や、河川や湿地の存在状況、都市化の度合い、それらに関連しての食物とシェルターの量により決まる。短期間の調査でその如何を判定するのは難しいが、「とりあえず(小豆島を例にして)見てみよう」と思った次第である。

   小豆島の見聞録は別稿に記す。以下は、「日本のその他の島々」の量(面積)を比較する。

イメージ 1   日本の主要4島中で最も小さい四国の面積は、約183万haである。四国の次に大きい島は、敗戦前まではエトロフ島の約31.7万haだった。最上徳内や近藤重蔵、高田屋嘉兵衛等の努力で実効支配され、そして幕府とロシアの外交交渉で日本のものと定められた。だが現在は(残念ながら)ロシア領だ。「あの戦争」の末期に地獄の戦場になったフィリピン:レイテ島は約72万haで、エトロフ島の2.3倍である。

   現在の「四国の次に大きい島の第1位」は沖縄島(沖縄本島)で、約12万haである。第2位は佐渡島で約8.5万ha、第3位は奄美大島で7万ha強、第4位は対馬の約7万ha弱と続き、淡路島は第5位の6万ha弱だ。そして屋久島は5万ha強、種子島は4.5万ha弱、隠岐島後は2.5万ha弱である。

   1万ha台の島としては、宮古島(1.5万ha強)、小豆島(前出)、壱岐島(1.3万ha強)、周防大島(1.3万ha弱)等がある。周防大島は屋代島ともいう。

   屋代島こと周防大島は、幕長戦争(1866)時に戦場になった。その模様を述した司馬遼太郎の「花神」には、この島にタヌキがいると記してある。タヌキやキツネと違い、イタチは文学には殆ど登場しない。

   次は面積が4桁のhaの島である。伊豆大島(9105ha)はその中では最大サイズだろう。以下、八丈島(7262ha)、大三島(6453ha)、三宅島(5540ha)、大崎上島(3834)ha、因島(3497)ha、大崎下島(1782ha)、波照間島(1277ha)…等がリストアップされる。

  そして3桁のhaの島。紀伊大島(968ha)はその中で大きめだ。座間味島(666ha)はミドルサイズで魚釣島(380ha)はそれより小さめ。そして、沼島(ぬしま:273ha)、出島(いずしま:268ha)、生野島(226ha)、平島(208ha)はミニサイズである。

   この7島の内、魚釣島と沼島以外ではニホンイタチの棲息が確認されている。淡路島の南沖にある沼島は、「海を渡れたら棲める」環境に思われた。沖縄尖閣列島中の魚釣島は、貴重種センカクモグラが分布することで知られる。だがイタチは(例え移入しても)棲めないだろう。そして鹿児島トカラ列島中の平島は、私の知る限り「ニホンイタチが棲息する最も小さい島」である。

  2桁のhaの島になると、イタチの個体群維持はかなり厳しい。長崎県の青島(90ha)には一時期シベリアイタチの移入個体群が存在し、佐々木浩(当時九州大学大学院生)がそれを調査していた。だがその後に絶滅したようだ。

  1桁のhaでは、全ての哺乳類の個体群維持が厳しくなる。愛媛県の能島(のしま:2ha)は戦国期に村上水軍の城があった島だ。だが、彼等はこの島のみを生活の基盤にしていた訳ではない。

   以上より、ニホンイタチの棲息が確認された島を拾い上げる。四国、佐渡島(新潟県)、淡路島(兵庫県)、屋久島(鹿児島県)、種子島(鹿児島県)、隠岐島後(島根県)、宮古島(移入個体群:沖縄県)、小豆島(香川県)、壱岐島(島根県)、伊豆大島(東京都)、八丈島(移入個体群:東京都)、三宅島(移入個体群:東京都)、大崎上島(広島県)、波照間島(移入個体群:沖縄県)、紀伊大島(和歌山県)、座間味島(移入個体群:沖縄県)、出島(宮城県)、生野島(広島県)、平島(移入個体群:鹿児島県)。

  これらの諸島の全てに今なおニホンイタチがいるかは不明だ。いても絶滅危惧の島があるのではないか?。調査が必要である。

   シベリアイタチのは、とりあえず対馬に(在来種として)単独分布する。四国と淡路島ではニホンイタチと共存だ。更に財団法人自然環境研究センターは、瀬戸内の大崎上島と生野島での2種共存を糞DNA分析により確認した(2011)。3834haの面積を有する大崎上島はまだしも、226haしかない生野島での共存は驚異だ。だがその状況は「持続可能か?」と思えなくもない。以下にそのことを考察する。

    量(面積)のことだけを考えると…各々のイタチの行動圏サイズと、「個体群維持に必要な最小限の個体数」より理論的考察が可能だ。後者については、集団遺伝学的見地から(とりあえず)50頭と見積もる。

   佐々木浩(筑紫女学園大学)は、九大大学院生時代に、シベリアイタチの行動圏サイズを1.3~4.4ha(雌雄差はさほど無し)と推定した。だがこれはその後に絶滅した個体群での値ゆえ、いまいち参考にならない。

   これとは別に、対馬で琉球大学のグループが得た(雄のみの)データがある。それは約15haだ。そして北大の青井俊樹と私は、和歌山県日置川町での調査でほぼ同じ値を得た。故に、15haという値は妥当じゃないかと思う。

   で、個体群維持に必要な個体数50の性比を1:1とし、データが無い雌の行動圏サイズを10haと仮定する。ならば15×25+10×25=625haという計算がとりあえず成り立つ。各個体の行動圏が全く重ならないと仮定しての計算であり、実際にはそうではないだろう。環境の質にもよるが、600haあれば何とか個体群を維持出来るのではないか。この面積は、沖縄:慶良間諸島の座間味島より一回り小さい値だ。

   ニホンイタチでは雄の行動圏を10ha、雌はそれよりグッと小さくて1haと推定しうる。私と青井、そして藤井猛(当時東京農工大学)の調査によりだ。で、10×25+1×25=275 haという計算が成り立つ。行動圏の重複がやはり想定しうるので、実際には200ha程度で個体群維持が可能ではないか。そして現実にトカラの平島は208haで、その値に近似する。

  ただニホンイタチの雌の行動圏が1haしかないということは、100m四方相当のエリアで十分な食物とシェルターが確保されねばならないということだ。遊牧的に移動するにしてもで、「環境の質」がより問われよう。

  2種の共存可能最小面積を考える場合には、とりあえず前述の値を足し合わせて800haが想定される。むろん種間関係が想定される場合に単純な足し算が成立する保証は無いし、環境の「質」も当然問われねばならない。

   大崎上島の面積は前述の理論値の約4.8倍あるので、「量」だけを見れば今後も共存可能と思う。だが生野島は厳しいのではないか?。226haという値は、ニホンイタチ単独でも個体群維持にギリギリだろう。現在のその個体群は、絶滅寸前ではないかと思える。

   2種共存の環境の「質」の条件として、私は人家がある程度あり、なおかつ豊かな自然も存在することを想定する。シベリアイタチは前者、ニホンイタチは後者を好むと考えてだ。

   現地調査はせず航空写真を見ただけの判断だが、大崎上島はある程度その条件を満たしているように思える。島の内部にも集落がそこそこあり、最高峰452mの山地もあるからだ。だが生野島は集落が海岸部に僅かしかない。環境の異質性が乏しく、かつ面積が200ha余しかない島での共存は厳しいだろう。そしてシベリアイタチのみが生き残った場合も、その未来は安泰ではないように思える。

   自然がさほど豊かでなくとも、ニホンイタチが棲息しうる場合がある。食物が豊富で、そしてシベリアイタチがいなければだ。島の多くをサトウキビ畑が占める波照間島は、その例ではないか。この島ではおそらく主にハツカネズミを食べているのだろう。貴重種のヤシガニやキシノウエトカゲに依存しているという噂もあるが、その真偽は定かでない。


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