去年観光した奈良井宿の江戸情緒が気に入ったので、

今月初旬、母を連れて泊りに行ってきました。

平日なので、高速はスイスイ。

 

 

 

関越自動車道~上信越自動車道と走ってきて、

上田の「草笛」というお蕎麦屋さんへ来ました。

以前佐久で食べた事があるのでここにしたのですが、

ボリュームある事をすっかり忘れていましたね。

桶で出てきた蕎麦は、上げ底一切なく

食べても食べても底が見えなくて苦戦しました。

最後にはカミさんに手伝ってもらい、

やっと完食したほど。

ですが、手打ちのお蕎麦はコシがあるし、

胡桃ダレも甘じょっぱくて美味しかったですよ。

 

 

 

あれだけのボリュームなのにリーズナブルで、

大食いの方におススメのお店です。

人気店なのも頷けました。

 

 

 

上田から山越えして奈良井宿を目指す事としましたが、

ナビにやられてしまいました。

ナビが選定した国道143号線です。

地図はグーグルからお借りしました。

 

国道とは名ばかりで

離合がやっとのクネクネ道をひたすら進むと、

古いトンネルが登場します。

明通トンネルという1890年(明治22年)に開通した

国内最古のトンネルらしいのですが、

この先には信号による交互通行しかできない

半分手掘りの会吉トンネルが待っていました。

たまたま信号が青だったので進みましたが、

あんな山奥で赤信号で止まったら嫌でしたね。

 

 

 

何はともあれ、無事に奈良井宿へやってきました。

江戸時代、中山道34番目の宿場町だったところで、

令和に入った今でも面影を感じる事が出来ます。

宿へチェックインした後、少し散策しました。

 

 

 

 

 

ボクとカミさんと母。

遠近法みたいになってしまいましたね。

 

 

 

そして、今回お世話になった「御宿・伊勢屋」さんです。

なかなか予約が取れない人気の宿で、

紅葉の時期を狙ったのですが取れず

この時期になってしまいました。

 

 

 

江戸時代後期の1843年頃に建てられた建物は、

昔の面影を残しつつ改修されていました。

江戸時代の伊勢屋さんは、

人足や馬を扱っていた下問屋だったそうで、

タイル貼の通路はかつて通り土間でした。

 

 

 

江戸時代のままの姿を見ることが出来る唯一の空間。

今回、江戸情緒を感じたくて4室ある母屋のうち、

街道沿いにある2階の客室にしました。

外観写真に写る、2階左側の和室です。

8畳と狭いですが、ボクと女性2人なので十分。

 

 

 

畳敷きにテーブルを配置した食堂。

かつては座って食べていたのでしょうけれど、

外国人も訪れるようになったから

このスタイルなんでしょうね。

大きな梁ですが、江戸時代のままと

現代の梁に付け替えたものと織り交ざっています。

 

 

 

屋根裏から出てきたという古文書。

 

 

 

 

 

2つある貸切風呂は予約不要で、

空いていればご自由にどうぞというスタイル。

江戸時代厩舎だったという場所は、

現代風のお風呂になっていました。

しかも、この日はりんご風呂。

ほのかに香る林檎が、

心身ともにリラックスさせてくれましたよ。

一人で入るには、大きすぎる浴槽でした。

 

 

 

さっぱりしたところで夕食です。

地産地消の料理の数々、地元のお酒とともに

美味しくいただきました。

 

ボクたちの隣のテーブルは、

ニュージーランドから来たご夫婦でした。

三週間の予定で、あちこちを周るのだそう。

日本人と違い、バカンスを楽しんでいますよね。

 

 

 

 

改修前の街道に面した客室です。

この頃に泊まってみたかったですね。

 

 

 

廊下の左側に布団を収納する押入れがあり、

客室は鍵付きの襖で仕切られています。

朝早くから行動したので結構眠くて、

21時過ぎには就寝しました。

 

 

 

翌朝は、7時から朝食でした。

早いなあと思いましたが、

列車で移動の観光客を考えての事でしょう。

 

 

 

宿を描いた切り絵。

上手に出来ていますね。

 

 

 

こちらは模型。

電球が内照されている優れものです。

 

 

 

チェックアウト後、宿の前で。

次回はぜひ紅葉の時期に来たいですね。

 

 

 

車を宿の駐車場に停めさせてもらったまま、

宿場町を散策しました。

 

鎮神社の赤い鳥居と杉の御神木。

 

 

 

国の重要文化財である資料館、

元櫛問屋の中村邸へ立ち寄りました。

障子となっている所を全て開放すると

お店になるのだと、この後知りました。

 

 

 

表から見た障子は、

かんぬきを外すと外れるようになっていました。

障子を全て開放して下の板戸を外すと、最後に

けんどん式の柱を外すことで「みせ」に早変わりします。

泊まった宿の街道に面した梁の凹みは、

こちらと同様に「みせ」の名残りだったのかなと

思い起こされましたね。

 

 

 

箱階段も、当時のまま。

 

 

 

2階の客間。炉も備わっていました。

 

 

 

 

通り土間

 

 

 

櫛も、時代とともに形が変化してたようですね。

 

 

 

 

朝早いので、観光客の姿はチラホラでした。

夏と違って、訪れる人も少ないのかな。

 

 

 

 

臨済宗妙心寺派の古刹、大宝寺を訪ねました。

建立は約400年前の天正10年(1582年)。

奇しくも織田信長が明智光秀に攻められ自害した、

本能寺の変と同じ年ですね。

 

 

 

七福神巡りのお寺でもあるので、

門前には七福神が鎮座してました。

 

 

 

本堂裏手には、嵯峨流の庭園がありました。

花が咲く時期や紅葉の時期は、もっと綺麗でしょうね。

 

 

 

有名なマリア地蔵尊です。

頭部や膝は見事なまでに破壊されていますが、

胸には十字架が残されていました。

この地にも、隠れキリシタンが住んでいたのですね。

 

 

 

鎮神社から太鼓橋まで、

結構歩きがいのある距離でした。

 

 

 

宿場町を歩きながら、自宅用に漆塗茶碗を買いました。

以前買った器をダメにしてしまったので、

新調しました。

今度は、大事に使おうと思います。

 

 

 

 

宿場町めぐりを十分楽しんだので、

松本へ移動します。

次は、信州旅行の後編になります。