唐津に来たなら一度は訪れたいと思っていた、名護屋城跡へ来ました。

名護屋城は、豊臣秀吉が朝鮮半島へ進出の前線基地として

1591年に築城された城です。

 

城跡へ着いた頃、雨が強くなってきました。

緑に侵略されつつある信号機。

 

 

 

大手口広場から、東出丸の櫓跡まで遠いなぁ。

西側も、緩やかに緑地が広がっています。

想像していた以上に広そうです。

 

 

 

 

名護屋城のメイン玄関だった大手口跡は、そこに櫓門があった事を

容易に想像できそうでした。

 

 

 

 

雨に霞んで残念ですが、呼子大橋の遠景です。

 

 

 

東出丸の櫓跡は、石垣だけが残っていました。

 

 

 

広大な三の丸跡。

 

 

 

この緩やかな階段を登っていくと・・・。

 

 

 

本丸跡に着きます。

広大な芝生の庭園に、ポツンとひとつ石碑が建つだけでした。

石碑の向こうにある天守台跡を目指します。

 

 

 

雨で足元が悪い中、天守台跡で来ました。

石垣がわずかに残っている程度です。

 

 

 

名護屋城を囲むように、名だたる武将の陣屋があったんですね。

晴れていれば少しは見えたのでしょうが、よくわからず残念でした。

 

 

 

 

天守台跡は遮るものが無いので、海からの風が強かったです。

荒天なので、来た道を早々に引き返しました。

途中、満開の八重桜に気づき撮った写真です。

 

 

 

 

駐車場へ戻る前に、名護屋城博物館へ寄りました。

常設展示は無料なのが、旅行者にとって有難いですね。

 

 

 

 

名護屋城のジオラマ模型を展示してました。

城郭の手前中央に大手口があり、右に坂を登っていくと東出丸です。

そこから三の丸が広がり、一番高い位置に天守がそびえる本丸があります。

 

 

 

別の角度から見た城全体。

 

 

 

城周辺の陣屋も再現されていました。

徳川家康の陣屋と、お城の関係です。

 

 

 

せっかく築城した名護屋城も、豊臣秀吉の死後は廃城になります。

実際使用したのは、築城後わずか7年。

その後破却されてしまったのだから、何とも勿体ない気がしました。

 

名護屋城と博物館で結構時間をかけてしまい、一路宿へ向かいました。

この日が一番雨が降ったのではないかと思うくらい風雨の中、

気を使いながらの運転だったので宿へ着くまでが長く感じましたね。
部屋は
、平戸城や海が一望できる最上階の和洋室でした。