お盆休みに、2泊3日で山形旅行へ行ってきました。
行きたい候補はいくつかあったのですが、車での移動時間と
天気を考慮しながら南山形に絞っての旅でした。
東京から車で5時間、米沢市に来ました。
まずは、上杉神社へ行きます。
広大な駐車場に車を停め、旧米沢城のお堀沿いを歩きました。

上杉神社は、明治9年に旧米沢城内に創建されました。
祭神は、上杉謙信です。
上杉鷹山も祭神とされた時期がありましたが、
現在は摂社の松岬神社祭神となってます。

台風の影響でしょうか、蒸し暑くてまいりましたね。

大正8年の大火で本殿を焼失してしまいますが、
大正12年に米沢出身の伊東忠太氏によって竣工しました。
伊東忠太氏は、明治神宮や平安神宮の設計者で知られています。
それにしても、ずいぶんと簡素な印象を受けました。



上杉家の家紋が入った、銅灯籠です。

旧米沢城本丸にあった謙信公の祠堂跡に、ソメイヨシノの大木がありました。
桜の木も、こんなになってしまうんですね。

9代藩主 上杉鷹山(治憲)の銅像がありました。
米沢藩は、財政悪化で領地を返上しよう考えた時期があります。
現代に当てはめると、ギリシャの財政危機のようなものですね。
上杉鷹山は、そんな米沢藩再生のきっかけを作った人物であり、
江戸時代屈指の名君ともいわれています。
銅像の傍らに、あの有名な言葉が刻まれていました。
「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」

参拝後、宝物殿へ行きました。
今回どうしても行きたかったうちのひとつです。
本物の「毘沙門天」の軍旗が展示されていたり、
謙信、景勝、直江兼続の本物の鎧兜が展示されていたりと、
歴史好きには堪らないお宝を見ることができます。
最後に、御朱印をいただいてきました。

あまり知られていませんが、新潟県との県境で、
山形県小国町というところに「小国上杉神社」というのがあります。
この地に住んでいる、上杉家臣団の思いで創建された神社です。
雪深い所なので、参拝へ行くのが大変だった事からでしょう。
創建された折に御神体として寄進された、
謙信が川中島合戦で使用した軍配と、鷹山直筆の短冊を、
毎年4月、上杉神社の例大祭に合わせて公開してるそうですよ。
行きたい候補はいくつかあったのですが、車での移動時間と
天気を考慮しながら南山形に絞っての旅でした。
東京から車で5時間、米沢市に来ました。
まずは、上杉神社へ行きます。
広大な駐車場に車を停め、旧米沢城のお堀沿いを歩きました。

上杉神社は、明治9年に旧米沢城内に創建されました。
祭神は、上杉謙信です。
上杉鷹山も祭神とされた時期がありましたが、
現在は摂社の松岬神社祭神となってます。

台風の影響でしょうか、蒸し暑くてまいりましたね。

大正8年の大火で本殿を焼失してしまいますが、
大正12年に米沢出身の伊東忠太氏によって竣工しました。
伊東忠太氏は、明治神宮や平安神宮の設計者で知られています。
それにしても、ずいぶんと簡素な印象を受けました。



上杉家の家紋が入った、銅灯籠です。

旧米沢城本丸にあった謙信公の祠堂跡に、ソメイヨシノの大木がありました。
桜の木も、こんなになってしまうんですね。

9代藩主 上杉鷹山(治憲)の銅像がありました。
米沢藩は、財政悪化で領地を返上しよう考えた時期があります。
現代に当てはめると、ギリシャの財政危機のようなものですね。
上杉鷹山は、そんな米沢藩再生のきっかけを作った人物であり、
江戸時代屈指の名君ともいわれています。
銅像の傍らに、あの有名な言葉が刻まれていました。
「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」

参拝後、宝物殿へ行きました。
今回どうしても行きたかったうちのひとつです。
本物の「毘沙門天」の軍旗が展示されていたり、
謙信、景勝、直江兼続の本物の鎧兜が展示されていたりと、
歴史好きには堪らないお宝を見ることができます。
最後に、御朱印をいただいてきました。

あまり知られていませんが、新潟県との県境で、
山形県小国町というところに「小国上杉神社」というのがあります。
この地に住んでいる、上杉家臣団の思いで創建された神社です。
雪深い所なので、参拝へ行くのが大変だった事からでしょう。
創建された折に御神体として寄進された、
謙信が川中島合戦で使用した軍配と、鷹山直筆の短冊を、
毎年4月、上杉神社の例大祭に合わせて公開してるそうですよ。
