金沢街道とは、金沢八景から鎌倉までをつなぐ道を言います。
鎌倉時代は、塩の産地であった六浦から鎌倉まで
盛んに塩が運ばれた事から「塩の道」と呼ばれていました。

今回は、金沢八景から鎌倉七口のひとつ
「朝比奈切通し」を通って十二所へ抜けるまでを歩きました。





京急・金沢八景駅で下車して、六浦交差点近くの高台へ来ました。
ここは、鎌倉時代から室町時代にかけての上行寺東遺跡の場所で、
遺跡の一部を型取り、造形保存しています。

保存運動からこういう施設を整備したのでしょうが、
すぐ後ろにマンションが建っているというのは不思議な感じがします。




保存整備地から見た六浦の街並みです。
昔この辺りは、海だったようですね。




これから行ってみる上行寺です。




茅葺き屋根の山門。

上行寺は、もとは金勝寺という真言律宗のお寺でしたが、
下総中山法華寺第3代の日佑上人が日蓮宗に改宗し
寺名も上行寺に改めました。





「船繋ぎ松の跡」です。

樹齢1000年の松があったそうですが、
昭和22年に枯れ、身替り松を植樹したそうです。
また、「門前一帯は往古海浜なり」と書かれていました。





浦賀道と六浦道の分岐点であった諏訪の橋です。

下を流れる侍従川には海水が入り込んでいるのでしょうか、
海にいるような魚が泳いでいました。





崖に彫り込まれた「鼻欠地蔵」です。

風化して鼻が欠け落ちたのでこの名がついたようですが、
風化しすぎて地蔵の形も無くなってますね。




いよいよここを曲がって、朝比奈切通しへ向かいます。

鎌倉幕府の重要交通路、鎌倉七口のひとつ朝比奈切通しは、
1241年に執権・北条泰時が監督し工事を急がせた道です。




入口付近の庚申塔です。






苔むした森の中を歩きます。
雰囲気は良いのですが、頭上の有料道路の音が煩わしいです。





熊野神社へ続く道との、分岐点まで歩いて来ました。




誰もいない森の中をしばらく歩くと、
こつ然と熊野神社の鳥居が現れます。

熊野神社は、切通しを掘削した時の守護神として、
熊野三山大明神から勧請された神社です。




階段を登りきると、拝殿があります。
拝殿の後方高い位置に、本殿が控えていました。







神社の境内に咲いていた花です。




分岐点まで戻ってきて、ふたたび切通しを歩きます。
大切通しでは落石があったのか、一部仮囲いがしてありました。






古来より、峠道を行き来する旅人を見守っている磨崖仏です。




ヘビ苺でしょうか。






バッタや、カタツムリがいました。






石塔や、お地蔵様がいます。




鎌倉側へ下りてくると、沢のような所を歩きます。
岩盤が水に濡れ、滑りやすくなってきました。





最初ちょろちょろだった水も、いつの間にか滝のようです。




切通しの鎌倉側入口には、「三郎の滝」があります。

朝比奈切通しを一夜で切り開いたという伝説の武士、
朝比奈三郎にちなんで呼ばれています。

ここから10分ほどで、現在の金沢街道と合流します。