世界文化遺産の銀閣寺へ行って来ました。
正式名称は、「慈照寺」と言うようです。
銀閣寺の名の由来は、江戸時代に入ってから、
金閣寺に対して銀閣寺というようになったのだとか。

「銀閣寺垣」と呼ばれる竹垣に囲われた参道を歩きますが、
周りがまったく見えないので期待感が膨らみます。

中門をくぐり、いよいよ初・銀閣寺参拝です。


歴史の教科書で見た風景が、目の前にあります。
銀閣で親しまれている前方の社殿、正式には「観音殿」というそうです。
室町幕府八代将軍の足利義政が、鹿苑寺舎利殿(金閣)を模して
造営した楼閣建築です。
こどもの頃は、銀閣寺は銀色に輝いていると思っていました。
その銀閣寺、金閣寺と同様、臨済宗相国寺の塔頭寺院です。
塔頭=子院、親戚みたいなものですかね。

非公開の内部2階には、観音菩薩像が安置されています。
境内の一画に、内部を写した写真が飾ってありました。


砂で作られた、向月台と銀沙灘です。
月を愛でるために作られたという向月台、
この上に座って東山に昇る月を待っていたとか。
そして銀沙灘、白砂を盛り上げて作られ月光を本堂に反射させるという
現代の言い方では間接照明みたいな役割を担っていたようです。

草庵茶室の源流と言われる、東求堂です。

社殿を見た後は、しばらく境内の庭を散策です。
苔寺で有名な西芳寺の庭園を模しただけあって、
優美そのものでした。




「お茶の井」と言われる湧き水です。
足利義政が茶湯に使っていたようですが、水質が安定しているので
現在もお茶会で使用しているそうです。

展望所から、銀閣寺全体を俯瞰できます。

遠くに、「左大文字」が見えました。





庭園を一周してきて、観音殿・銀閣の前に来ました。
大勢の修学旅行生が写真を撮っています。
その間をかいくぐって撮った一枚です。

銀閣の屋根の実物模型がありました。
柿葺きの屋根で、さわらの割板を3センチずつずらしながら重ね、
竹釘で留めていく工法だそうです。

御朱印をいただいてきました。
その場で書いていただけますが、ホント達筆です。
正式名称は、「慈照寺」と言うようです。
銀閣寺の名の由来は、江戸時代に入ってから、
金閣寺に対して銀閣寺というようになったのだとか。

「銀閣寺垣」と呼ばれる竹垣に囲われた参道を歩きますが、
周りがまったく見えないので期待感が膨らみます。

中門をくぐり、いよいよ初・銀閣寺参拝です。


歴史の教科書で見た風景が、目の前にあります。
銀閣で親しまれている前方の社殿、正式には「観音殿」というそうです。
室町幕府八代将軍の足利義政が、鹿苑寺舎利殿(金閣)を模して
造営した楼閣建築です。
こどもの頃は、銀閣寺は銀色に輝いていると思っていました。
その銀閣寺、金閣寺と同様、臨済宗相国寺の塔頭寺院です。
塔頭=子院、親戚みたいなものですかね。

非公開の内部2階には、観音菩薩像が安置されています。
境内の一画に、内部を写した写真が飾ってありました。


砂で作られた、向月台と銀沙灘です。
月を愛でるために作られたという向月台、
この上に座って東山に昇る月を待っていたとか。
そして銀沙灘、白砂を盛り上げて作られ月光を本堂に反射させるという
現代の言い方では間接照明みたいな役割を担っていたようです。

草庵茶室の源流と言われる、東求堂です。

社殿を見た後は、しばらく境内の庭を散策です。
苔寺で有名な西芳寺の庭園を模しただけあって、
優美そのものでした。




「お茶の井」と言われる湧き水です。
足利義政が茶湯に使っていたようですが、水質が安定しているので
現在もお茶会で使用しているそうです。

展望所から、銀閣寺全体を俯瞰できます。

遠くに、「左大文字」が見えました。





庭園を一周してきて、観音殿・銀閣の前に来ました。
大勢の修学旅行生が写真を撮っています。
その間をかいくぐって撮った一枚です。

銀閣の屋根の実物模型がありました。
柿葺きの屋根で、さわらの割板を3センチずつずらしながら重ね、
竹釘で留めていく工法だそうです。

御朱印をいただいてきました。
その場で書いていただけますが、ホント達筆です。
