
北鎌倉を後にして源氏山方面へ歩き出しましたが、
途中、長寿寺の石垣がすごい事になってました。

石垣の間から、シダ系の植物がシュンシュンと横に生えています。

鎌倉七口のひとつ、亀ケ谷坂です。
鎌倉七口とは、三方を山で囲まれ、海に面した鎌倉への
陸路の入口を指し、鎌倉時代からあったものです。
ただ七口という呼び名は、江戸時代に入ってからついたようですが。


鎌倉時代後期には、既に切通しがあったようです。
北鎌倉から来ると気づかないのですが、この坂とんでもなく急坂です。
自転車に乗った女性の呼吸が荒くて何で?と思いましたが、
源氏山方面へ下りてみてわかりました。
急坂の上、長いんです。
急坂すぎて亀もひっくり返った、引き返したといわれる亀ケ谷坂は、
昭和44年に国の史跡にしてされました。

岩船地蔵を右に折れて、海蔵寺へ向かう途中を左に折れると
鎌倉七口のひとつ、仮粧坂になります。
去来庵でもらった地図には「化粧坂」と印刷してあって、
このダラダラ続く坂と見比べても大したことないとタカを括っていました。

ところが舗装路が途切れた途端、岩肌ゴツゴツの山道が待ってました。
これが化粧坂?という疑問符がいくつも現れましたが、
先を行く青シャツの人がマウンテンバイクを押して登って行ったので、
ボクたちも後を続きました。
登り終えた所に案内板がありましたが、
それによると「化粧坂」ではなくて「仮粧坂」とあり、
読み方も「けしょうざか」でなく「けわいざか」でした。
先入観が先に立ってしまい、思わず夫婦で苦笑いです。

仮粧坂を登りきったところは、源氏山公園が広がっています。
源氏山というのは、源義家が後三年の役で奥羽出陣の際、
この山に源氏の白旗を立てて戦勝祈願したことから
つけられた名といわれ、「旗立山」とも呼ばれるそうです。
後三年の役で奥州藤原氏が登場する事となりますが、
その藤原氏を倒して全国を平定し、鎌倉幕府初代将軍となった
源頼朝像が源氏山山頂にあります。
