島原から長崎までは、諌早まで一般道、諌早から高速を使います。
時間があれば島原城や武家屋敷を見学したかったのですが、
今回は諦めて長崎へ直行です。
島原から諌早までは有明海沿いの国道を走りますが、
幹線道路のうえ抜け道も無いのか混んでいました。
長崎自動車道は、空いてて走りやすいのが印象です。
終点まで走り、そのまま長崎出島道路という有料道路に入ります。
長いトンネルを抜けると、いきなり長崎市の中心部に出るという、
不思議な道路でした。
ホテルにチェックインし、さっそく観光に出かけました。


まず向かった先は、歴史教科書なみの知識しかない出島へ。
鎖国政治の江戸時代、貿易が唯一認められていた長崎・出島。
明治に入り、周囲は埋め立てられ出島は無くなりましたが、
平成8年より復元事業が始まり、今日まで3分の1が復元されてます。

発掘調査によって発見された、南側護岸石垣です。


同じく、当時の基礎や遺跡を見ることができます。


復元された建家内部も、忠実に再現されています。
食卓には、クリスマス料理が並んでいました。


壁や天井の模様が可愛らしいです。
西洋的であって、家紋のような雰囲気ですね。


大砲も残っています。

当時の境界石があります。


出島の後ろに中島川という河川がありますが、
出島側の浅い部分が江戸時代の出島外形線だそうです。
この中島川は、今でも海水が流れているそうです。
奥に見えるトラス橋は1890年(明治23年)製で、
日本最古の現役道路橋です。
長崎の街を歩いていると、「ナニナニ発祥の地」とか「日本最古の」とか、
そんな事にたびたび遭遇して楽しいです。


復元された表門と、表門から対岸を見た景色です。
予算がつき次第、表門橋を復元する計画があるそうです。



敷地の一画に、15分の1で再現された出島の模型がありました。
薬草園やビリヤード場があったようですね。

1903年(明治36年)に建てられた、旧長崎内外倶楽部です。


1878年(明治11年)に建てられた、日本最古の神学校です。

バトミントン伝来の地だそうです。

外国人の子供たちが遊んでいました。
後ろの建物と合わせて見ると、海外のように見えますね。


もみじが、可愛らしい花を咲かせていました。


出島前の渋い雑居ビルにあった診療所です。

レトロな路面電車が走っています。
時間があれば島原城や武家屋敷を見学したかったのですが、
今回は諦めて長崎へ直行です。
島原から諌早までは有明海沿いの国道を走りますが、
幹線道路のうえ抜け道も無いのか混んでいました。
長崎自動車道は、空いてて走りやすいのが印象です。
終点まで走り、そのまま長崎出島道路という有料道路に入ります。
長いトンネルを抜けると、いきなり長崎市の中心部に出るという、
不思議な道路でした。
ホテルにチェックインし、さっそく観光に出かけました。


まず向かった先は、歴史教科書なみの知識しかない出島へ。
鎖国政治の江戸時代、貿易が唯一認められていた長崎・出島。
明治に入り、周囲は埋め立てられ出島は無くなりましたが、
平成8年より復元事業が始まり、今日まで3分の1が復元されてます。

発掘調査によって発見された、南側護岸石垣です。


同じく、当時の基礎や遺跡を見ることができます。


復元された建家内部も、忠実に再現されています。
食卓には、クリスマス料理が並んでいました。


壁や天井の模様が可愛らしいです。
西洋的であって、家紋のような雰囲気ですね。


大砲も残っています。

当時の境界石があります。


出島の後ろに中島川という河川がありますが、
出島側の浅い部分が江戸時代の出島外形線だそうです。
この中島川は、今でも海水が流れているそうです。
奥に見えるトラス橋は1890年(明治23年)製で、
日本最古の現役道路橋です。
長崎の街を歩いていると、「ナニナニ発祥の地」とか「日本最古の」とか、
そんな事にたびたび遭遇して楽しいです。


復元された表門と、表門から対岸を見た景色です。
予算がつき次第、表門橋を復元する計画があるそうです。



敷地の一画に、15分の1で再現された出島の模型がありました。
薬草園やビリヤード場があったようですね。

1903年(明治36年)に建てられた、旧長崎内外倶楽部です。


1878年(明治11年)に建てられた、日本最古の神学校です。

バトミントン伝来の地だそうです。

外国人の子供たちが遊んでいました。
後ろの建物と合わせて見ると、海外のように見えますね。


もみじが、可愛らしい花を咲かせていました。


出島前の渋い雑居ビルにあった診療所です。

レトロな路面電車が走っています。
