
鴨川の宿は、弟が手配してくれた「かんぽの宿 鴨川」でした。
初・かんぽの宿で、正直なところ余り期待してなかったのですが、
地元の海鮮、野菜を使った朝夕飯は、期待以上に美味しかったです。
リニューアルされた部屋も明るく快適でしたが、
収容人数の割にお風呂が狭かったのが残念でした。

翌日、鴨川シーワールドへ遊びに行った弟家族と別れ、
ボクたち夫婦は両親を連れ「仁右衛門島」へ行きました。
鴨川から、南へ車で20分ほど走ると太海漁港がありますが、
漁港の50m沖合に浮かぶ周囲4キロの島が「仁右衛門島」です。
作家・内田康夫氏の作品に「贄門島」というのがありますが、
小説のあとがきに島名をもじって題名にしたと書いてあり、
近くへ行ったらぜひ寄ってみたいと思ってました。

太海漁港から手漕ぎボートに揺られる事5分、
ついに仁右衛門島へ上陸しました。
仁右衛門島とは横溝正史の「獄門島」みたいですが、
じつは個人所有の島で、島主・平野仁右衛門さんの名前から
仁右衛門島と呼ばれてるそうです。
その歴史は古く、現島主は数えて38代目、
平安時代から約900年続く家柄だそうです。

蓬島弁才天祠・寿老人合祀。
平安時代末期に宮島から勧請したと伝えられる、蓬島弁才天祠です。
寿老人の方は、昭和の時代に合祀されたものだそうです。

展望台から見た太海漁港です。
海が綺麗ですね。



島主住居の一部を一般公開してます。
元々海岸線に建っていたそうですが、塩害や災害にやられ
江戸時代中期に現在の場所に建て替えられたそうです。
観光地化されて今は誰も住んでないのだろうと思っていたら、
建物東側はガラス越しに日用品が並び生活臭が漂っていました。

庭にある、大きな蘇鉄の木です。

日蓮聖人が朝日を拝んだとされる、神楽岩です。


正一位稲荷大明神
平安時代末期の1180年、源頼朝が石橋山の戦に敗れ
安房国に逃げてきた時、仁右衛門が匿ったとされる穴があります。


島東部に広がる岩礁です。
釣り人が多くいましたが、引き潮の時を狙って渡ったのでしょうか。

1時間近く滞在した島を後にして、手漕ぎボートで帰ります。
漕ぎ手の方の話が面白く、5分の船旅はあっという間でした。
