私とロックとの出会い
クイーン (Queen)
イギリスのロックバンド。
「スマイル」というバンドにいたブライアン・メイ(Brian May)とロジャー・テイラー(Roger Taylor)に
フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)、ジョン・ディーコン(John Deacon)が加わって4人で結成されました。
この4人は、フレディが亡くなるまで一度も変わることの無かった不動のメンバーでした。
1973年、『戦慄の王女(QUEEN)』 でデビューし
それなりの人気を集めましたが
当初イギリスのメディアや評論家からは
「ツェッペリン」のヘタなものまね、小便桶と
酷評されてしまいます。
日本の評論家達も、メイ独特のコインを使ったギタープレイを
三味線ロックとボロクソに貶していました。
ただ日本のリスナー特に女性には
メンバーのルックスが良かったのと
音楽雑誌ミュージックライフが取り上げプッシュした事もあって
非常に人気でした。
余談ですがミュージックライフでは
その月に発売されたレコードを五つの☆で評価していましたが
かなり編集部の好みによる独断と偏見に満ちた採点でしたね(笑)
Wingsなんていつも満点!それも数ある名作を押しのけて
今月の一枚に選ばれていました。
ビートルズファンの友人は、その評価を見て
ご満悦でした(笑)
でも私の好きなバンドはそれ程高い評価を貰った事が無く不満でしたが、
今からみれば所詮好みの問題だからどうでもいい事でした。
ただ当時は情報が少なかったので、ミュージックライフの評価は
結構、重要視されていました。
1974年発表の2ndアルバム『クイーン II(QUEEN II)』は
メイの色々な音色を使ったギターで多重録音された曲から始まるように
前作よりプログレッシブ・ロック寄りな音作りがなされ
完成度が増したにもかかわらず
今度はピンク・フロイドの物真似と
相変わらず本国の評論家からは低い評価しか得られませんでした。
(確かにフロイドの狂気の冒頭と似ていますが。)
ただシングルカットされた「輝ける7つの海(Seven Seas of Rhye)」
この曲はデビューアルバムではインストとして収録されていましたが、
それにフレディが詩を付け発表したところ全英10位となるヒットとなり、
アルバムも全英5位を獲得します。
そのため、あれほど貶していた評論家達も評価を替えざるを得なくなりました。
またこのアルバムはブライアンが殆ど作曲したサイドをA面ではなくブラックサイド
フレディがすべて作曲したサイドをホワイトサイドと呼んでいました。
ジャケットも表面が黒、内面が白になっています。
本来なら白い方が表ジャケットになる筈でしたが
フレディの強い希望で黒ジャケットが採用されました。
この黒ジャケットは後からもクイーンをイメージするものとなり
「ボヘミアン・ラプソディ」でのオペラ部分でも使用されています。
このアルバムの曲を全曲演奏したブートレグの海賊版を当時聴いた事があり
後から専門店で探してみましたが結局見つかりませんでした。
ブートなのに録音も演奏も素晴らしく
友人のO君が持っていて聴かせて貰ったのですが
彼もその後消息不明で
盤も記憶を頼りに何枚か買ってはみたものの
どれも違う盤でした。
クイーンは人気があっただけに
ブートの数も多く全部買って聴くわけにもいきません。
1974年、3rdアルバム『シアー・ハート・アタック(Sheer Heart Attack)』
からカットされたシングル「キラー・クイーン(Killer Queen)」が
全英2位の大ヒット。翌年には全米でも12位となり
広く一般にも認知されるようになりました。
そうして1975年に初来日した際には空港に大勢の若い女性ファンが駆けつけただけで無く
ライヴも大成功を収めます。
前年、ディープ・パープル、モット・ザ・フープルの前座での
全米ツアーではメイの病気のため途中で降板し意気消沈していたメンバーは
日本での熱狂的な歓迎に大変感激して
それ以降本国以外では最初に認めてくれた日本に対しては特別な感情があると
その後のインタビューで語っていました。
そうして1975年2月再びカンサス、スティクスらの前座としてアメリカツアーを行い
こちらも大盛況となり大スターへの道を歩み始めます。
1975年に発表されたのが『オペラ座の夜』(A Night at the Opera)
このアルバムには有名な「ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody)」
が含まれています。
この曲は5つのパートから構成され、
途中にはとてもロックバンドと思えない
オペラチックな部分が含まれていて
PVでは4人のメンバー全員が歌っている様に作ってありますが
実際にはベースのジョンは歌っていません。
(彼は殆どヴォーカルを取りませんでした。本人曰く「音痴だから」)
この部分の録音のため3人が何百回もダビングを繰り返したため
マスターテープが擦り切れそうになったらしいですが、
そのため、とても3人で作ったとは思えない分厚い音に仕上がりました。
フレディは6オクターブの声を持つと言われていましたが
実際、最も高音部分はドラムのロジャーが担当しています。
ロジャーは子供の頃、聖歌隊にいたため
高音を得意としていて
またクイーンのなかでは
フレディよりもハードロック調の声質を持っています。
ボヘミアン・ラプソディは、
当初、長すぎるとしてシングルカットを渋ったレコード会社でしたが
結果的には全英9週連続1位の大ヒットとなり
アルバムも初の全英1位を獲得。
この頃になるともう貶す評論家は、誰もいなくなりました(笑)
1976年発表の5thアルバム
「華麗なるレース(A Day at the Races)」は前作の対をなす作品として作られました。
それはジャケットを見ても分かります。
またこのアルバムには「手をとりあって- Teo Torriatte」という日本語の曲があります。
歌詞の一部は日本語でも歌われています。
これは初来日の際、イギリス本国でも受けたことが無い程の
スーパースターとしての歓迎をしてくれた日本のファンに対するメンバー
特にフレディの感謝の印として作られた曲だからで、
そのため、この曲が日本以外のライヴで歌われたことはありません。
あと本来のローマ字表記なら「Teo Toriatte」となるはずですが
「Teo Torriatte」となっていて「r」が二つ重なっています。
これは慣れないローマ字表記を使ったからのミスではなく
フレディ自身の希望らしいですが
どういう意味があるのか分かりません。
ちなみに、南米でのライヴでも熱狂的に迎え入れられたクイーンは、
「ラス・パラブラス・デ・アモール (愛の言葉) (Las Palabras de Amor (The Words of Love)」
というスペイン語の歌詞の入った曲も発表しています。
この頃になるとクイーンは世界的なビッグネームに成長し
出すアルバムがどれもチャート上位を賑わすようになりました。
特に8thアルバム「ザ・ゲーム(The Game)」は
「愛という名の欲望」、「地獄へ道づれ」の2曲が全米1位となり
全英・全米ともに1位を記録する彼ら最大のヒットになります。
「地獄へ道づれ」はベースのジョンの作品で、
彼は非常に寡作ですが、バンドにとって重要な作品を提供しています。
この曲は当時ブームだったディスコミュージックの影響が多く見られ
特に大人気だったアメリカのファンク、ディスコ・バンド
シック(Chic)の音に良く似ています。
ジョン自身も、その影響を認めています。
結果的に、この曲はクイーン最大のヒット曲となり、
世界で唯一メンバー全員がチャート1位のヒット曲を作ったバンドとなります。
ドラムのロジャーが作ったレディオ・ガ・ガ (Radio Ga Ga)」は
世界19カ国で1位を獲得する大ヒットとなっただけでなく
レディー・ガガ (Lady Gaga)の名前の由来にもなりました。
ただ1991年、順風満帆だったバンドにとってショッキングな事が起こります。
フレディ・マーキュリーがHIVによる免疫不全による合併症で
45才という若さで亡くなってしまった事です。
これによって事実上クイーンは終わったと言ってよいでしょう。
ただ正式には解散を発表した事も無く
ロジャーとメイ二人がクィーン名義を引き継ぎ
元フリー、バッドカンパニーの
ポール・ロジャース(Paul Rodgers)や
アダム・ミッチェル・ランバート(Adam Mitchel Lambert)を
ヴォーカリストとして迎え
ツアーやアルバムの発表も行い
かなりの成功を収めはしましたが
フレディ抜きのクイーンに違和感を持つ人も
少なくなかったのも事実です。
2014年現在もクイーン+アダム・ランバートの形で
活動を続けていますが
過去にメイは他のヴォーカリストと組む可能性にも言及していますので
再々度、ヴォーカリストの変更があるのかもしれません。
(ポールの復帰を含んで)
クイーンのサウンドにはフレディのヴォーカルだけでなく
メイのギターも重要な要素です。
彼の使用ギター「レッド・スペシャル (Red Special)」は
自作ギターとして有名で、
ボディーに100年以上前の暖炉の木を使い
エンジニアだった彼の父と共同で
電気系統を作り上げ
数々のエフェクターを駆使し
更に6ペンス・コインをピック代わりに使用することによって
独特のサウンド生み出しています。
(またまた余談ですがコインでギターを弾くのは
弾きにくいのはもちろん、弦も切りやすい!)
そのような事から、メイは一見堅物に思えますが
好きな動物はペンギンで「生まれ変わるならペンギンになりたい」とまで語っていて、
実際に『戦慄の王女』の裏ジャケットや「狂気への序曲」のビデオクリップでは
ペンギンの格好をして写っています(笑)
またベースのジョンの貢献もありました。
ジョンは電子工学の大学を出ている事もあって
メイが使うエフェクターやアンプを制作していました。
このように自作の機器を使う事によって
他では真似できないクイーンサウンドが出来上がりました。
ただあまりにもギターで出せる音からかけ離れていたため
実はシンセサイザーを使っているのではないか
との声もあったからか
クイーンの初期のアルバムには
「No Synthesisers were used on this Album(このアルバムにシンセサイザーは使用されておりません)」
と、わざわざクレジットされていました。
実際、いくらメイの特製ギターでもシンセサイザーを使わずに、あの音を作るのは
大変だったそうですが
それがアルバムに重厚なサウンドを与えていたのも否定できず
逆に80年代になりシンセも使うようになったことで
安易にアルバムを制作していたわけではないでしょうが
音もシンプルになり結果的にアメリカでは大ヒットを連発します。
その反面日本では
初期ほどの熱気は無くなってしまったように思います。
私自身も「華麗なるレース」後のアルバムにプログレ色が無くなり
当時世界的に流行していたダンスミュージック色が濃くなったので
殆ど聴かなくなってしまいました。
また余談ですがフレディはステージで上半身裸になり
更に股間を強調するようなタイトなタイツ(?)を履いて歌っていた事や
来日時はゲイの街で有名な(笑)新宿二丁目にある行きつけの店に通っていたこと等から
ゲイの噂がありましたが
実際には女性と交際したこともあるように
両性愛者のようです。
そのため後に命を落とす原因になったHIVに罹ったと言われています。
ベースのジョンは、フレディ死後は他の二人のように音楽活動は殆ど行いませんでした。
フレディの追悼コンサート等、数回他の二人から促されて出た程度で
1997年以降は全くクイーンの活動には参加していません。
これは彼自身、音楽活動からも完全に手を引いて
家族と平穏に暮らしたいという希望があった為と言われています。
元々人前に出るのが、苦手だったらしく
更にフレディの死がショックで
彼のヴォーカル以外でのクイーンなど考えられない!
と語っているらしいです。
彼の中ではクイーンは4人揃ってこそクイーンなんでしょう。
クイーン (Queen)
イギリスのロックバンド。
「スマイル」というバンドにいたブライアン・メイ(Brian May)とロジャー・テイラー(Roger Taylor)に
フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)、ジョン・ディーコン(John Deacon)が加わって4人で結成されました。
この4人は、フレディが亡くなるまで一度も変わることの無かった不動のメンバーでした。
1973年、『戦慄の王女(QUEEN)』 でデビューし
それなりの人気を集めましたが
当初イギリスのメディアや評論家からは
「ツェッペリン」のヘタなものまね、小便桶と
酷評されてしまいます。
日本の評論家達も、メイ独特のコインを使ったギタープレイを
三味線ロックとボロクソに貶していました。
ただ日本のリスナー特に女性には
メンバーのルックスが良かったのと
音楽雑誌ミュージックライフが取り上げプッシュした事もあって
非常に人気でした。
余談ですがミュージックライフでは
その月に発売されたレコードを五つの☆で評価していましたが
かなり編集部の好みによる独断と偏見に満ちた採点でしたね(笑)
Wingsなんていつも満点!それも数ある名作を押しのけて
今月の一枚に選ばれていました。
ビートルズファンの友人は、その評価を見て
ご満悦でした(笑)
でも私の好きなバンドはそれ程高い評価を貰った事が無く不満でしたが、
今からみれば所詮好みの問題だからどうでもいい事でした。
ただ当時は情報が少なかったので、ミュージックライフの評価は
結構、重要視されていました。
1974年発表の2ndアルバム『クイーン II(QUEEN II)』は
メイの色々な音色を使ったギターで多重録音された曲から始まるように
前作よりプログレッシブ・ロック寄りな音作りがなされ
完成度が増したにもかかわらず
今度はピンク・フロイドの物真似と
相変わらず本国の評論家からは低い評価しか得られませんでした。
(確かにフロイドの狂気の冒頭と似ていますが。)
ただシングルカットされた「輝ける7つの海(Seven Seas of Rhye)」
この曲はデビューアルバムではインストとして収録されていましたが、
それにフレディが詩を付け発表したところ全英10位となるヒットとなり、
アルバムも全英5位を獲得します。
そのため、あれほど貶していた評論家達も評価を替えざるを得なくなりました。
またこのアルバムはブライアンが殆ど作曲したサイドをA面ではなくブラックサイド
フレディがすべて作曲したサイドをホワイトサイドと呼んでいました。
ジャケットも表面が黒、内面が白になっています。
本来なら白い方が表ジャケットになる筈でしたが
フレディの強い希望で黒ジャケットが採用されました。
この黒ジャケットは後からもクイーンをイメージするものとなり
「ボヘミアン・ラプソディ」でのオペラ部分でも使用されています。
このアルバムの曲を全曲演奏したブートレグの海賊版を当時聴いた事があり
後から専門店で探してみましたが結局見つかりませんでした。
ブートなのに録音も演奏も素晴らしく
友人のO君が持っていて聴かせて貰ったのですが
彼もその後消息不明で
盤も記憶を頼りに何枚か買ってはみたものの
どれも違う盤でした。
クイーンは人気があっただけに
ブートの数も多く全部買って聴くわけにもいきません。
1974年、3rdアルバム『シアー・ハート・アタック(Sheer Heart Attack)』
からカットされたシングル「キラー・クイーン(Killer Queen)」が
全英2位の大ヒット。翌年には全米でも12位となり
広く一般にも認知されるようになりました。
そうして1975年に初来日した際には空港に大勢の若い女性ファンが駆けつけただけで無く
ライヴも大成功を収めます。
前年、ディープ・パープル、モット・ザ・フープルの前座での
全米ツアーではメイの病気のため途中で降板し意気消沈していたメンバーは
日本での熱狂的な歓迎に大変感激して
それ以降本国以外では最初に認めてくれた日本に対しては特別な感情があると
その後のインタビューで語っていました。
そうして1975年2月再びカンサス、スティクスらの前座としてアメリカツアーを行い
こちらも大盛況となり大スターへの道を歩み始めます。
1975年に発表されたのが『オペラ座の夜』(A Night at the Opera)
このアルバムには有名な「ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody)」
が含まれています。
この曲は5つのパートから構成され、
途中にはとてもロックバンドと思えない
オペラチックな部分が含まれていて
PVでは4人のメンバー全員が歌っている様に作ってありますが
実際にはベースのジョンは歌っていません。
(彼は殆どヴォーカルを取りませんでした。本人曰く「音痴だから」)
この部分の録音のため3人が何百回もダビングを繰り返したため
マスターテープが擦り切れそうになったらしいですが、
そのため、とても3人で作ったとは思えない分厚い音に仕上がりました。
フレディは6オクターブの声を持つと言われていましたが
実際、最も高音部分はドラムのロジャーが担当しています。
ロジャーは子供の頃、聖歌隊にいたため
高音を得意としていて
またクイーンのなかでは
フレディよりもハードロック調の声質を持っています。
ボヘミアン・ラプソディは、
当初、長すぎるとしてシングルカットを渋ったレコード会社でしたが
結果的には全英9週連続1位の大ヒットとなり
アルバムも初の全英1位を獲得。
この頃になるともう貶す評論家は、誰もいなくなりました(笑)
1976年発表の5thアルバム
「華麗なるレース(A Day at the Races)」は前作の対をなす作品として作られました。
それはジャケットを見ても分かります。
またこのアルバムには「手をとりあって- Teo Torriatte」という日本語の曲があります。
歌詞の一部は日本語でも歌われています。
これは初来日の際、イギリス本国でも受けたことが無い程の
スーパースターとしての歓迎をしてくれた日本のファンに対するメンバー
特にフレディの感謝の印として作られた曲だからで、
そのため、この曲が日本以外のライヴで歌われたことはありません。
あと本来のローマ字表記なら「Teo Toriatte」となるはずですが
「Teo Torriatte」となっていて「r」が二つ重なっています。
これは慣れないローマ字表記を使ったからのミスではなく
フレディ自身の希望らしいですが
どういう意味があるのか分かりません。
ちなみに、南米でのライヴでも熱狂的に迎え入れられたクイーンは、
「ラス・パラブラス・デ・アモール (愛の言葉) (Las Palabras de Amor (The Words of Love)」
というスペイン語の歌詞の入った曲も発表しています。
この頃になるとクイーンは世界的なビッグネームに成長し
出すアルバムがどれもチャート上位を賑わすようになりました。
特に8thアルバム「ザ・ゲーム(The Game)」は
「愛という名の欲望」、「地獄へ道づれ」の2曲が全米1位となり
全英・全米ともに1位を記録する彼ら最大のヒットになります。
「地獄へ道づれ」はベースのジョンの作品で、
彼は非常に寡作ですが、バンドにとって重要な作品を提供しています。
この曲は当時ブームだったディスコミュージックの影響が多く見られ
特に大人気だったアメリカのファンク、ディスコ・バンド
シック(Chic)の音に良く似ています。
ジョン自身も、その影響を認めています。
結果的に、この曲はクイーン最大のヒット曲となり、
世界で唯一メンバー全員がチャート1位のヒット曲を作ったバンドとなります。
ドラムのロジャーが作ったレディオ・ガ・ガ (Radio Ga Ga)」は
世界19カ国で1位を獲得する大ヒットとなっただけでなく
レディー・ガガ (Lady Gaga)の名前の由来にもなりました。
ただ1991年、順風満帆だったバンドにとってショッキングな事が起こります。
フレディ・マーキュリーがHIVによる免疫不全による合併症で
45才という若さで亡くなってしまった事です。
これによって事実上クイーンは終わったと言ってよいでしょう。
ただ正式には解散を発表した事も無く
ロジャーとメイ二人がクィーン名義を引き継ぎ
元フリー、バッドカンパニーの
ポール・ロジャース(Paul Rodgers)や
アダム・ミッチェル・ランバート(Adam Mitchel Lambert)を
ヴォーカリストとして迎え
ツアーやアルバムの発表も行い
かなりの成功を収めはしましたが
フレディ抜きのクイーンに違和感を持つ人も
少なくなかったのも事実です。
2014年現在もクイーン+アダム・ランバートの形で
活動を続けていますが
過去にメイは他のヴォーカリストと組む可能性にも言及していますので
再々度、ヴォーカリストの変更があるのかもしれません。
(ポールの復帰を含んで)
クイーンのサウンドにはフレディのヴォーカルだけでなく
メイのギターも重要な要素です。
彼の使用ギター「レッド・スペシャル (Red Special)」は
自作ギターとして有名で、
ボディーに100年以上前の暖炉の木を使い
エンジニアだった彼の父と共同で
電気系統を作り上げ
数々のエフェクターを駆使し
更に6ペンス・コインをピック代わりに使用することによって
独特のサウンド生み出しています。
(またまた余談ですがコインでギターを弾くのは
弾きにくいのはもちろん、弦も切りやすい!)
そのような事から、メイは一見堅物に思えますが
好きな動物はペンギンで「生まれ変わるならペンギンになりたい」とまで語っていて、
実際に『戦慄の王女』の裏ジャケットや「狂気への序曲」のビデオクリップでは
ペンギンの格好をして写っています(笑)
またベースのジョンの貢献もありました。
ジョンは電子工学の大学を出ている事もあって
メイが使うエフェクターやアンプを制作していました。
このように自作の機器を使う事によって
他では真似できないクイーンサウンドが出来上がりました。
ただあまりにもギターで出せる音からかけ離れていたため
実はシンセサイザーを使っているのではないか
との声もあったからか
クイーンの初期のアルバムには
「No Synthesisers were used on this Album(このアルバムにシンセサイザーは使用されておりません)」
と、わざわざクレジットされていました。
実際、いくらメイの特製ギターでもシンセサイザーを使わずに、あの音を作るのは
大変だったそうですが
それがアルバムに重厚なサウンドを与えていたのも否定できず
逆に80年代になりシンセも使うようになったことで
安易にアルバムを制作していたわけではないでしょうが
音もシンプルになり結果的にアメリカでは大ヒットを連発します。
その反面日本では
初期ほどの熱気は無くなってしまったように思います。
私自身も「華麗なるレース」後のアルバムにプログレ色が無くなり
当時世界的に流行していたダンスミュージック色が濃くなったので
殆ど聴かなくなってしまいました。
また余談ですがフレディはステージで上半身裸になり
更に股間を強調するようなタイトなタイツ(?)を履いて歌っていた事や
来日時はゲイの街で有名な(笑)新宿二丁目にある行きつけの店に通っていたこと等から
ゲイの噂がありましたが
実際には女性と交際したこともあるように
両性愛者のようです。
そのため後に命を落とす原因になったHIVに罹ったと言われています。
ベースのジョンは、フレディ死後は他の二人のように音楽活動は殆ど行いませんでした。
フレディの追悼コンサート等、数回他の二人から促されて出た程度で
1997年以降は全くクイーンの活動には参加していません。
これは彼自身、音楽活動からも完全に手を引いて
家族と平穏に暮らしたいという希望があった為と言われています。
元々人前に出るのが、苦手だったらしく
更にフレディの死がショックで
彼のヴォーカル以外でのクイーンなど考えられない!
と語っているらしいです。
彼の中ではクイーンは4人揃ってこそクイーンなんでしょう。